KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

脳と魂

 介護という仕事をしていると、さまざまな認知症の人と出会うことになる。認知症というものにもまた、いろいろな種類があるのだが、共通しているのは、脳が原因の症状であるということだ。

 

 人間の思考は脳だけが司るものであろうか。いちおうはそういうことになっている。そうとしかいえないともいえる。この世においては。しかしヒトは肉体と魂とに分かれていて、肉体が死んでも魂は残るという考えるヒトもいた。

 

 その代表格がソクラテスである。だからソクラテスは、肉体と魂をもって生きるこの世において、より善く生きることによって、魂を汚さないようにしようと言った。死ぬのは肉体だけで魂は生きつづけるのだから。

 

 魂は思考する。脳は肉体の一部にすぎない。そう考えてみると、認知症のヒトというのは、実は魂の部分で考えていることが、脳の症状によって、肉体にうまく伝達ができないでいるということも考えられるのだ。


今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り僕は君のそばにいる。