輪廻転生は”りんねてんしょう”と読ませる。生は”せい”ではない。仏教用語というのは、”建立(こんりゅう)など、呉音といって漢音伝来以前の読み方をさせる。いきなりなぜ僕はこのようなことを言い出すのか。
それは大学で習ったことの復習をしているからであった。もし殴るなら顔はやめて、ボディにしてほしい。僕が籍を置く日本大学通信教育部文理学部哲学専攻というところは、いわゆる西洋哲学だけをやるわけではない。
専門の必修科目には宗教学関係があって、西洋哲学と同じぐらい仏教(インド哲学)を僕は履修している。キリスト教やイスラム教、ユダヤ教などはもとをただせば、同じ天地創造の神を持つセム宗教といわれる。
それらセム宗教は、死んだら天国か地獄という道しかない。死後の世界が単純なのである。ユダヤ人であった哲学者スピノザは、人は死んだら宇宙と一体になるなんて言ったものだから、ユダヤ教界隈から追放されて、大変な人生を送ってしまう。
それらに比べて、仏教はそう単純にはいかない。仏教にはさまざまな死生観というものが存在する。その一つが輪廻転生なのであるが、話をしだすと長くなるので、細々とこのブログにて記録したい。
今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り僕は君のそばにいる。
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