KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

吹石一恵のお父さんは古き良きパ・リーグの最後のいぶし銀だった

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『第12回クラリーノ美脚大賞2014』に選ばれた、大野いと(19)、武井咲(20)、吹石一恵(32)、萬田久子(56)という4人の美女。
 吹石は「ユニクロ」CMでもナイスバディを披露している。授賞式では、「元来ものぐさな人間でして慌てていろんなケアを始めました」と会場の笑いを誘っていた。


吹石一恵という女優さんは、まれにみる美しさを持った女優さんだ。
日本人離れの容姿を持つ、まるでおとぎ話にでてくるお姫様のような人だ。
それでいて表情に険がない優しい顔をしている。
人にはそれぞれの審美眼があるから、異論はあるだろうけど。

知っている人は知っているが、彼女のお父さんは元プロ野球選手だ。
長年近鉄バッファローズ一筋、控え選手でありながら時にキラリと光るプレイが魅力であった。
しかしこのお父さん、娘とぜんぜん顔が似ていない。
渋くてコワモテの顔で、この人からどうやってあの美しい娘ができたのか不思議だ。

お父さんは1988年に引退。
13年の選手生活だった。
1988年といえば南海がダイエー、阪急がオリエント・リースに身売りした年だ。
近鉄も含め大阪にパ・リーグに3球団があった最後の年ということにもなる。

そして近鉄も2004年に合併により消滅する。
いまやパ・リーグも北は北海道から南は福岡まで本拠地が分散し、昭和のころには考えられないようなスタジアムの熱狂に包まれている。
それはそれで歓迎すべきなのだが、一方で昭和の、お客さんがぜんぜん来ないころのパ・リーグがとても懐かしく感じるときがある。

1988年のパ・リーグ
大阪の3球団の本拠地球場はボロくて、お客さんもぜんぜん入っていなかった。
選手も華がない。
当時最強を誇っていた西武ライオンズとは何もかもが大違いだった。

あっちは石毛だ秋山だ清原だ渡辺久信だととにかく輝いていた。
それに比べて南海ときたら、山内孝徳だ河埜だ湯上谷だとなんかくすんでいるのばっかだった。
ドカベン香川なんて打てないときは、

「おーいドカベ~ン、来年日本ハムにトレードや!選手としてちゃうぞ~、商品としてやぞ~!」

なんてヤジられる始末だ。
でもって誰がヤジっているのかというと、阪急の応援団なのである。
不人気の球団同士で大阪球場はお客さんがいないから声が響く響く。
でもこっちもひねくれもののガキだったので小学生のころからひっそりと注目し応援していたのだ。

まだロッテが千葉に来る前で、特定のチームのファンでなく、アンチ巨人・アンチ西武だったころの話だ。
そしてこの年、パ・リーグにひとつのドラマがうまれる。

 10.19

あの川崎球場で行われた近鉄対ロッテのダブルヘッダーである。
このダブルヘッダーで連勝すれば西武を抜いて近鉄が優勝という大事な試合。

1試合目は近鉄が勝った。
引き分けでもダメなので選手も必死である。
1対1の同点で迎えた7回表のことだった。
その日は当時レギュラーの金村が怪我で試合に出られず、吹石にお鉢が回ってきた。

そして吹石は勝ち越しのホームランを打ったのである。
いぶし銀の男が輝きをみせた一瞬だった。
これは盛り上がった。
このままいけばヒーローは吹石で決まりだった。

しかし残念ながら同点に追いつかれ、引き分けに終わり近鉄は優勝を逃すことになる。
吹石はこの年限りで引退した。
まあこのときはロッテが憎らしくて憎らしくて仕方がなかった。
そのロッテが後に我が地元千葉に本拠地を移し、ファンになってしまったのもなにかの巡りあわせだろうか。

いまや川崎球場大阪球場もなくなってしまった。
吹石はパ・リーグとはなにかというのを体現した選手だったなと今になって思う。
いつも補欠で陰の存在だったけど時にキラリと輝いていた。
こんなことを思い出すなんて、年をとったんだなあってつい苦笑いをしてしまう。