KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

バブルの前からバブリーだった子どもの”ある分野”

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それは自転車ではないでしょうか。あまりの装飾っぶりに、いまマウンテンバイクなんかを乗りこなしている子どもがみたら笑われそうです。とにかくいろんなものがゴチャゴチャついていました。ギアを変えるのにも大仰なレバーがありました。

小生が子どものころ、おおくの男の子たちは、こうしたメカメカしい自転車にあこがれをもっていたのです。いまおもいだすとそうとうはずかしい。甘酸っぱい思い出であります。なんですかこの写真の仰々しい反射板は。 

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しかし当時は、こういう自転車に乗っている友人をうらやましくおもいながら、母や弟と共用のママチャリで必死についていったのです。なにが5段変速だまったく。おなじような団地に住んでいるのに、こういうところで貧富の差はあらわれるのであります。