KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

尾木ママはもはやテレビカメラの前で教育論を語っちゃいけないレベル

いじめ加害者は 人間としての感性が ズレまくっているのです…
岩手の亮くんを死に追い込んだ加害者たち とりわけ報告書のB加害者は

ワガママ

自己保身

粗暴

相手への思いやりなし

共感能力なし

自己チュー

自己確立出来ていない自己のイライラを他人にぶつけてくる

問題点だらけ…
これらの特徴は 「戦争好きな人」 が持つ特徴に見事に一致しています

戦争好きな人はいじめ加害者の発想と共通点が多い? 


このブログでも尾木ママについてとりあげてきた。テレビを中心としたメディアで、学校の責任ばかりを追求していることに異論を記してきたわけだが、これは一連の学校批判よりもタチがわるい。


元教員であり、教育評論家として生きているものが、生徒にレッテル貼りするか。そういわずにはいられない。なんならテレビでそのままのことをいってみればいい。テレビとブログでまったくスタンスがちがうのはどういうわけか。


どんな生徒にだってのびしろはある。わるいことをしてしまったのならば、おとなが諭してやればいい。わるいことをしたら、それなりにおとなが叱らないといけない。ダメというレッテルを貼ってしまったら、そこで生徒の成長は止まるんだよ。 


小生はぜったいいじめる生徒が「戦争好きな人」だとはおもわない。ただ成長過程でボタンをかけ違えただけだとおもっている。根が悪いと断じてしまうことは、すなわちその生徒の再生をあきらめているのといっしょなのだ。


大人になって社会人になってしまうと、少しづつ変わるしかないけれども、学生であるということは、まだ飛躍的にかわれるチャンスはある。今回の事件で自殺した生徒をいじめた者は、贖罪の意味というものを背負って生きていかなければならないけれども。


とりあえず尾木ママはメディアに出演するのを休んで、教育について初心に帰ってかんがえるべきだな。


ogi

こんなポーズとっている場合じゃない。