KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

九ちゃん

日本航空123便墜落事故から今日で30年。もう30年経ったのか。あのときの衝撃はいまだに忘れることができない。夏休みで家にいて、テレビをみていた。ブルーバックに物々しい字体で書かれたニュース速報という文字。


羽田空港から飛び立った500人以上を乗せた飛行機が行方不明になった。もしかしたらいま自分がいる千葉の埋め立て地の団地に落ちるかもしれない。まさか。そんなことを思い、恐怖心にかられたのをいまだによくおぼえている。


おとなになって羽田から大阪にいく飛行機に乗ったことがある。時間にしたらあっという間である。しかし、あっという間であるはずの飛行機がまさか墜落するなんて。当時の乗客のみなさんの恐怖はそれこそ想像に絶するものだったに違いない。


翌日の新聞をみると、乗客であろう人の名前が掲載されていた。だが中には「カワサキ・T(これは僕の本名)」みたいなかんじで、「カタカナ・アルファベット一文字」という、まだ情報がさだかでない人の名前があった。これが事故のおそろしさをさらに強くさせた。


そしてテレビではさらに聞きたくなかった情報が。坂本九さんが乗っていたらしいというではないか。「なるほど・ザ・ワールド」でいつもとかわらぬ笑顔の九ちゃんをみたばっかりなので、ショックは大きかった。 


これはおとなになってわかったことだが、じつは九ちゃんはいつも全日空の飛行機に乗っていたのだという。だがちょうどお盆の時期であったので、全日空の飛行機がとれなかったそうだ。それでしょうがなく日本航空123便に乗った。なんという運命のいたずらであろうか。


アジア人で唯一、ビルボードのランキングで1位になり、最期は飛行機事故で非業の死を遂げる。このようなドラマチックな人生を送ったひとはそうそういないのではないだろうか。そもそも九ちゃんのばあい、音楽的な素養が桁外れだった。


おそらく民謡がバックホーンにあるであろうその歌声。それは日本人の琴線にふれただけでなく、世界の人々の琴線にふれたのだ。でなければ、日本語で歌った歌がビルボードの1位になれるわけがない。