KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

本当に百田尚樹はホールインワン級のアホだなあ

「九条信者を前線に送り出せ」

 2013年にそうツイッターで発信したのは、作家の百田尚樹氏である。

 この発言は、当時、多くの新聞で取り上げられ、百田氏は強い批判を浴びた。しかし、百田氏によれば、批判は「曲解の極み」だったという。

(中略)

私のツイートの原文はこうだ。

「すごくいいことを思いついた! もし他国が日本に攻めてきたら、9条教の信者を前線に送り出す。そして他国の軍隊の前に立ち、『こっちには9条があるぞ! 立ち去れ』と叫んでもらう。もし、9条の威力が本物なら、そこで戦争は終わる。世界は奇跡を目の当たりにして、人類の歴史は変わる」

 賢明な読者ならおわかりのように、これは皮肉である。  憲法九条を何が何でも守りぬくと主張している人たちは、「九条があったからこそ、日本の平和が何十年も守られた」と言う。彼らに言わせれば、日本が戦争から免れたのは九条のおかげらしい。
 もし彼らが主張するように、あるいは信じるように、本当に九条の威力によって日本が守られていたとするなら、実際に戦争が起こったときに、彼らに頑張って戦争を食い止めてもらおうではないかという皮肉である。戦争が起これば、九条信奉者を前線で殺してしまえという意図はどこにもない。

「九条信者を前線に送り出せ」 百田尚樹氏「放言」の真意は 


戦争というものは、まず戦争が起きないようにするのが、先決である。9条を守れというヒトに「戦争がおきたらどうするんだ」というのは見当ちがいもはなはだしいのである。あくまで憲法9条というのは、戦争がおきないようにするためのものなのだから。


まずヒトは理性をもって、戦争が起きないようしなければいけないわけだ。しかし憲法9条があっても戦争が起きる可能性がある。それは裏で小細工し、挑発して相手に攻めさせるようにしむけることによっておきる。


そう。74年前にどこかの国がそれで先制攻撃をしてしまい、相手に交戦の口実をあたえてしまったのである。


もし戦争がおきてしまった場合は、憲法9条なんてもはや関係ないのである。本土に攻めこまれたら、国やふるさと、そして家族をまもるために、なにがなんでも戦わねばならないのだ。”9条の信者”であろうとも、自分や家族がいま目の前で、異民族から殺されそうになれば、戦わざるをえないのである。


だがそうしたくないから、そうならないように憲法9条を護って戦争をしないようにしたいのである。しかし憲法9条というのは、自衛はできると書かれている。攻められたら守るために戦わなければならない。それは覚悟しなければいけないのである。


百田なんてどうせじぶんは前線に立つつもりはないのだ。身分が下の奴が前線に立つものだ。自分は身分が上なのだから前線に立たなくていい。そういうやつなのだから、あとは百田尚樹的思考ニンゲンが、相手の喉元に刃を突きつけないように、自分ら”身分が下”な奴がチェックしなければならない。そうかんがえている。 


ほんとアホが権力を持つとロクなことがないから。