KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

「ひとり親を救え!プロジェクト」への違和感を3つ挙げてみる




「ひとり親を救え!プロジェクト」
キャンペーン名は、「宛先: 菅義偉 官房長官 子どもを5,000円で育てられますか?貧困で苦しむひとり親の低すぎる給付を増額してください!」 なのだそうです。これに常見陽平さんは、

キャンペーン名は、ひとり親家庭の気持ちをわかっていないのではないかと思う。
いや、今時のひとり親家庭が可愛そうであることは事実だ。それは疑いようもない。それは労働問題に取り組んでいる者としてよく理解している。
ただ、この問題に長年取り組んでいる人たち並みからいうと配慮がたりないと思うのだ。揚げ足をとっているように見えるだろう。ただ、この手の人たちは、ちょっとした一言で傷つくのだ。
そして、複雑な想いを抱いているものである。

ひとり親家庭は応援するが、「ひとり親を救え!プロジェクト」を応援しないことにした 

ということを述べています。ワタクシはひとり親ではないですけど、この一種の”お祭り騒ぎ”みたいなかんじに違和感を覚えますね。どこにそれを感じたのか、自分なりに簡単にですがまとめてみました。



1.単純に”ひとり親”という言葉が政権批判に利用するための道具になっている

あくまで印象ですけれども。「当事者じゃないでしょうあなたは別に」ってワタクシなんかは感じてしまうのです。”ひとり親”の存在に主体性がない感じがするのですわ。


2.”ひとり親”を食い物にしている感じがハンパない


これは1に付随するものなんですが、こういう運動というのはやはりカンパが付き物でしょう。募金運動でもなんでも、活動資金というのは必要です。それは運動員のギャラもふくめて。当たり前の話です。だからこそビジネス臭がハンパないのですわ。


3.”有志”をずらずら並べているのが鼻につく

キャンペーンのページを見てもらえるとわかるのですが、”有志”がたくさん出てきます。お前さんら”志が有る”というなら、わざわざこんなところに顔を出すなよって言いたくなるのですよね。まあ名前を出すことによって、キャンペーンする方も”有志”もWin-Winになるというのはわかるのですけれども。


もうひとつおまけにですね、キャンペーンのページの一番上を見てもらいたいのですが、「Change.org」と赤字で書いてある横に、「キャンペーン開始!」って書いてあるでしょう。なんなのでしょうか。このお手軽感は。


そりゃあこうして当事者でもないニンゲンが”ひとり親”と一括にしてキャンペーンとかやっていたら、違和感を持つ”ひとり親”のヒトが出てきますわ。なんかアイスバケツチャレンジとかぶるものを感じますね。