KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

センスで寿司屋を経営できるか




オッス。おらニート!というわけで表題なのですが、そもそもセンスってなんなのかということなのですけれども。センスという言葉って曖昧模糊としているなとワタクシなんかは感じるのです。便利な言葉ですよね。


センスという言葉そのものは、結果がよければセンスがあった、悪ければセンスがなかったみたいに後出しジャンケンで付け加えるものというイメージなのですよ。センスの実体はどういうものかなんてイメージできないのです。


コロンビアでお寿司屋さんをやるのには、寿司アカデミーで1年とかやればいいのかもしれないですけどそれは寿司職人ではなくて、とりあえず寿司が握れるヒトなのですわ。それをルーチンワークとしてコロンビアでやるならそれでOKでしょう。成功するかどうかは微妙だけれども。


しいて言うならセンスって、どういう働き方をするかで身についてくるものなのかなと。そんなに天性のセンスみたいなものを持っているヒトっていないと思うのですよ。寿司の握り方や素材の目利き、接客などいろんな要素があると想像するのですけれども。


そうしたら結局はあのヒトはあの名店で修業していたとかがモノをいうのかなとも想像するのですよね。そういう情報っていろいろなグルメ記事に載りますし。いまや街の普通の寿司屋さんが減ってきて、回転寿司か本当においしい寿司屋かの両極になってきています。


そしてコロンビアでの寿司屋は、日本の寿司屋とはまったく別物になるでしょう。まず外国で海苔を食べさせるのが難しいですし。そうなってくると結局、寿司アカデミーで1年やった結果どうなるかというと、寿司とは似て非なるものを作るヒトか、回転寿司屋で働くヒトのどっちかになるのではないでしょうか。