KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

カップヌードルのプラスチック製透明フォーク



 そのむかしはいたるところに、このようなカップヌードルの自動販売機があった。ロゴマークが懐かしい。冬の寒いときなんかにフーフーいいながら外で立ち食いというのも、なんかこうただ生き抜くために食べるという感じでいい。

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 よくこの自動販売機は、いまや絶滅危惧種となったオートレストランにあった。そしてこの写真にあるような透明でプラスチック製のフォークがセットされていた。されているはずなのだが、ごくまれに無い場合がある。カップヌードルを買ってお湯の入っている状況でそれが判明するとかなりの絶望感におちいることになる。

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  カップヌードルが発売されたのが昭和46年。製造元の日清食品の社長である安藤百福さんは世界中のヒトにも受け入れられるようにしたかったらしい。なのでフォークで食べられるというのをウリにしたのだろう。

 だから発売当初は、銀座で試食販売をしているのを買った当時の若者も、あさま山荘事件で寒い中で任務にあたっている機動隊員もプラスチック製の透明フォークで食べている。それだけで日本発祥なのにワールドワイドで新感覚の食べ物というかんじがする。

 当時の銀座に集う若者は、それでもってカップヌードルを歩きながら食べていた。いまでは考えられないが。やはりそれもファッション感覚というものなのであろう。きっと移動してまわりに見せつけることで新感覚を持っていることをアピールしていたのだ。

 しかしやはり日本人のばあい箸なのである。いつの間にか透明のプラスチック製フォークで食べるヒトはいなくなった。カップ麺を食べることがふつうになったことで歩いて食べる必要もなくなったのである。