KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

日の丸じゃぱ男単独ライブ

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 今日は本当は休みの日だったのだが、職場の会議に出席し、その後に電車に乗って新井薬師に。日の丸じゃぱ男氏の単独ライブを見にいった。どうも木曜日というのはライブが重なるようで、阿佐ヶ谷ではマザーテラサワ氏が主宰する芸人が40組ぐらい出演するライブというのもあった。

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 すなわち1対40という対決。極真空手の組手か。そして40の方に出演ではなく、1の方を見にいくという選択も味わい深いものがある。枯山水。自分で言うのもなんだけれども。そして久しぶりに荒波タテオ君とも会い話ができた。最近お笑いのヒトと話すというのもなかなかないので貴重な時間だった。

 これまた久しぶりに会う非芸人のお友達と帰りに話したのだが、自分が普通じゃないと言われたとか。そもそも普通とはなんなのか。誰がその定義を決められるのか。多数派であればいいのか。だが多数派に属するとつい普通というものを錯覚してしまいがちになるわけさ。

 だいたいいじめだとか戦争だとか。そういうものは多数派の狂気によって増長するものである。普通なんていうのはニンゲンの驕りなんだよ。ヒトを殺めてはいけないというのも多数派共通の”普通”ではなく、個人が持つ倫理と死生観なんだ。普通をバカにしろ。

 ライブが終わってみんなと一緒に飲みに行こうと最初は意気込んだのだが、中野駅近くに来てお目当ての飲み屋の行き方が間違えていて、もっともっと中野駅から遠い場所でしたという話になったので、悪いけどそのまま帰らせてもらった。

 翌日仕事だし終電が心配というのもあったのだが、とにかく僕は方向音痴なのだ。地図が読めない。迷って時間までに駅へ行けなかったら困る。日付が変わる前に辻堂駅に着くとほんとうに安心するのだった。