KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

また、登山以外にも毎年障害を持つ人たちの頑張る姿を映して「お涙頂戴」をする事に対して疑問を持つ人は、年々増えているようだ。(しらべぇ編集部・ロバ耳太郎)

24時間テレビの「障害者でお涙頂戴」に国民ドン引き 登山では虐待疑惑も|ニフティニュースより



 日本テレビ系列で毎年8月に放送しているチャリティー番組「24時間テレビ 愛は地球を救う」で、トラブルが発生している。 


両足に障害を抱えた男の子が富士登山に挑戦するといった企画で、虐待と受け取られる映像が流れてしまったからだ。



  実際にこの”お涙頂戴”で涙するニンゲンなんて少数派だろうよ。ただこういうのが好きなヒトはいるだろうね。そういうヒトは、わざわざネット上で感動したとか書かないよ。

 だからこそ一部のクレーマー体質のニンゲンの声が大きくて目に入りやすいのさ。年々疑問を持つヒトが増えているのかしらないが、声なき支持者が多くいて、だからこそ宣伝になるので、たくさんの企業スポンサーがつくわけだよね。

 よく24時間テレビをチャリティーじゃないと批判するヒトもいるけど、チャリティーというのは慈善活動であって、慈善活動は無償でやらなくてはいけないという決まりもないわけだよ。

 批判する側がよく引き合いに出すのに、ビートたけし明石家さんまはギャラが出るからこういう番組にも出ないのだというのがあるが、じゃあ彼らはギャラが出ないチャリティー番組に出るのかといったらおそらく出ないね。どっちも出ない人種なだけさ。

 そもそもノーギャラのチャリティー番組に出る有名タレントなんて、そんなにいないだろうよ。そんな番組が本当に観たいの?批判するヒトは。観ないでしょう話題性もないし。そんな番組、寄付金もスポンサーも集まらないさ。

 まあだけど批判するヒトにじゃあ24時間テレビ以上にお金が集められる本当のチャリティー番組のアイデアがあるのか聞くのも不毛なんだけどね。批判する側には、番組を作る権限や能力なんてないわけだから。

 だから声の大きいだけの批判者の声は、いい結果をもたらさないのさ。壊れたら壊れたで後は知ったこっちゃないというヒトばかりだからね。だからテレビは規制だけが増えて冒険的じゃなくなってきているわけでさ。

 まあこんな障害者の子どもを一合目から富士山に登らせるなんて俺は関心はしないけど、こういう”根性モノ”が好きなヒトは多くいるのさ。ただ黙っているので目立たないだけ。

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り、俺は君の傍にいる。