KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

私は苦しくなるとよく止めたくなるんです。そんなとき、あの街角まで、あの電柱まで、あと100mだけ走ろう。そう自分に言い聞かせて走ります。(君原健二)

公共広告機構(現ACジャパン)CM「すててはいけない君の人生(1979年)」より


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1979 すててはいけない君の人生

 



  君原健二さんは、1964年の東京オリンピックラソン代表で、8位に入ったヒトさ。そう、あの円谷さんと一緒に出たわけだね。かたや銅メダリスト。かたやその銅メダリストよりも期待されながらメダルを逃したヒト。悔しい思いをしたそうだよ。

 8位だって立派なのに、自身のふがいなさに、当時所属していた会社を辞めようとまでしたんだからね。オリンピックは参加することに意義があるなんていうけど、実際世間は明確にメダリストとそうでないヒトを差別するしね。

 そして東京の次のメキシコオリンピックの年はじめの円谷さんの死は、きっとショックであっただろうし、数奇な運命みたいなものを感じただろうよ。メキシコオリンピックの銀メダルは、その運命を背負って走った結果だろうね。

 運命というのは時にそのヒトを押しつぶすこともある。けれどもカレは走り続けてつぶされなかったわけさ。どんなに訓練を積んだヒトでも苦しくなるし、ときにはしかたなく止めることもあるよね。それでも走りつづけた結果が「棄権ゼロ」なんだろうね。

 もちろん人生を捨てたと簡単にはいえないけど、円谷さんの死をふまえると、この君原さんの出た公共広告機構のCMはいろいろと考えさせられるものがあるね。ヒトにはいろんな人生がある。

 ちなみに君原さん。今年の4月に、優勝者が50年後に特別招待されるというボストンマラソンに出て4時間台で完走したそうだよ。75歳だぜ御年。「棄権ゼロ」継続中。おみそれいたしやした。

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り、俺は君の傍にいる。