「円谷二尉の自刃」1968年1月13日産経新聞より
円谷幸吉さんは1964年東京オリンピックのマラソン銅メダリストだ。そしてその4年後、メキシコオリンピックの年の1月に、当時所属していた自衛隊体育学校の宿舎の自室で、壮絶な自死をとげたんだ。
それをうけて当時の関係者は、やれノイローゼの発作だ、指導者になれなかった自身の力不足だ、などと勝手なことを言っていたわけさ。それに対して三島は、このコトバを発したんだ。俺も三島に同感だね。
あれはいつだっただろうか。小中高どの先生だったか忘れてしまったけれども、授業のなかで円谷さんの遺書を紹介して、これは美しい日本語の代表例であるということを言っていたのを覚えているよ。
父上様母上様 三日とろろ美味しうございました。干し柿 もちも美味しうございました。
敏雄兄姉上様 おすし美味しうございました。
勝美兄姉上様 ブドウ酒 リンゴ美味しうございました。
巌兄姉上様 しそめし 南ばんづけ美味しうございました。
喜久造兄姉上様 ブドウ液 養命酒美味しうございました。又いつも洗濯ありがとうございました。
幸造兄姉上様 往復車に便乗さして戴き有難とうございました。モンゴいか美味しうございました。
正男兄姉上様お気を煩わして大変申し訳ありませんでした。
幸雄君、秀雄君、幹雄君、敏子ちゃん、ひで子ちゃん、 良介君、敬久君、みよ子ちゃん、ゆき江ちゃん、 光江ちゃん、彰君、芳幸君、恵子ちゃん、 幸栄君、裕ちゃん、キーちゃん、正嗣君、 立派な人になってください。
父上様母上様 幸吉は、もうすっかり疲れ切ってしまって走れません。 何卒 お許し下さい。
気が休まる事なく御苦労、御心配をお掛け致し申し訳ありません。
幸吉は父母上様の側で暮しとうございました。
さぞかし無念だっただろうよ。でもこのような遺書を書くヒトが、発作的に後先を考えずに自死するとは考えられないんだよね。苦慮に苦慮を重ねた結果、しかたなくこうなってしまったんじゃないかな。
ヒトが自死に至る過程というのは、現世に残されたニンゲンが計り知れるほど単純ではないんだよ。しかし”関係者”の言葉にも表れているように、選手個人の人格を無視した精神論がスポーツ界にはびこっていたんだなというのはわかるよね。
今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り、俺は君の傍にいる。
オリンピックに奪われた命―円谷幸吉、三十年目の新証言 (小学館文庫)
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