KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

お湯入れるだけでいいから楽だったのに…。ありがとうございました。(渋谷駅・どんばれ屋店長)

どん兵衛の「どんばれ屋」が閉店。貼り紙に店長の本音が漏れていた...(笑) - グノシーより


 



 どんばれ屋。俺も渋谷に来たときは、よく利用していたよ。職人姿に扮したSMAPの中居君に引き寄せられるようにね。近所のコンビニではお目にかかれない地方限定のを必ず頼んでいたんだ。

 それとおにぎりも売っていたので、それも1個買って食べていたっけ。店員さんがお湯を入れたどん兵衛と砂時計を渡してくれてね。砂時計の砂が全部落ちたときに食べどきってわけ。

 店長はお湯入れるだけっていうけど、じつはあの空間って貴重だったんだよ。なかなかカップ麺って出先で食べられないじゃない。そりゃ中にはコンビニの前で地べたに座って食べているヒトもいるけどさ。

 俺にはできないわけよ。往来でカップ麺を食べるという行為が。そのむかしカップヌードルが発売開始したころは、銀座の往来で歩きながらプラスチックのフォークで食べていたヒトもいたけどね。いまそれやったら恥ずかしいでしょ。

 だからこそあの空間はよかった。人目を忍んでカップ麺を渋谷で食べられるというあの空間がね。閉店するってわかっていたら、もう一度行ったんだけどな。残念だよ正直ね。

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り、俺は君の傍にいる。