KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

今回の都知事選において、主要3候補とそれ以外の候補とのメディアの取り扱いが極めて不平等である。 これはそれ以外の候補にとり選挙戦が著しく妨害され、有権者にあたかも3候補の中か

「皆さんの選択肢は3ではなく21なのです。スマイル!」 マック赤坂さんがメディアの取り扱いの不平等を訴える | ガジェット通信より


  この件にかんしては、メディアの扱い方として当たり前といえば当たり前なんだ。はっきりいってしまえば、マックさんは他の3人と同等とはいえないね。言っちゃ悪いけど。

 21名という多くの候補者がいて、なぜ3人ばかりがとり扱われるのか。やはり違いは組織力、もしくは個人の知名度。あとはこのヒトのために手伝おうとするヒトがいるかどうかなんだろうよ。

 それを測るひとつの基準が、選挙のポスター掲示板なんじゃないかな。自分のポスターが掲示板にくまなく貼られているのかどうかということだね。それこそ都知事選挙といえば、多摩のはしっこや青ヶ島などの離島も範囲にあるわけさ。

 そういうところにまで貼られているのかどうか。貼れないような候補が、ちゃんと全部貼れるような候補と同等にメディアで扱えというのは、おかしな話なんじゃないだろうか。選挙というのは離島などに住んでいるヒトの存在を無視して売名に利用するもんじゃないわけさ。

 だからマックさんも、渋谷で自己顕示欲丸出しのパフォーマンスを選挙期間中以外にもやっているヒマがあるなら、少しでもその時間を選挙ポスターを貼ってくれるヒト探しに費やすべきなんだよね。

 都民のなかにはテレビしか情報源がないヒトもいる。ポスターを全部の掲示板に貼れない冷やかしまがいの候補者は、そういうヒトの情報収集において存在がジャマなんだよ。そんな候補者が当選などできやしないのだから。

今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り、俺は君の傍にいる。

 


 


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