KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

NHKの報道は「公平・客観・中立」がモットーである、と堂々と唱えています。「ありえない。どうしてそんなこと言えるんだ。お前は神様か」と言いたくもなってしまう。(養老孟司)

新潮新書バカの壁」より


  この「バカの壁」が出版されたのが12年前のこと。このころだってそうだが、いまやNHKが「公平・客観・中立」だなんて信じているニンゲンなんてそうそういないだろうよ。

 ニュースなんか観ていても、かなり主観が入っていて、これも伝えなかったら不公平じゃないかって思うことがあるわけさ。しかしニュースを伝えてメシを食うかぎり、厳密な「公平・客観・中立」なんてありゃしないのさ。公共放送といえども。

 それでも「公平・客観・中立」だっていうなら、首都圏ニュースだなんて関東の県をひとくくりにしないで、関東以外の県みたいに一都一県ずつニュースをやんなさいよって話さ。

 プロ野球に関してもそう。ソフトバンク日本ハム楽天のような地方の球団のホームゲームの実況中継でホームチーム寄りの実況解説をするなら、ロッテのホームゲームの時もロッテ寄りの実況解説をやんなさいよって話だよ。

 関東ばかりに「公平・客観・中立」を押しつけるなってことだね。だからそういうところ一つとってもNHKは神様じゃないっていうことなわけさ。

 結局のところ、”常識”とはなにか。「バカの壁」で書かれている”常識”とは、絶対的な真実かどうかは別にして「誰が考えてもそうでしょ」ということ。「客観的事実」なんて信じない。それが”常識”を知っているということ。

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り、俺は君の傍にいる。


 



バカの壁 (新潮新書)

バカの壁 (新潮新書)