KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

異端がゆえの孤独

 ジャガーさんをご存じだろうか。僕ぐらいの年代の千葉県出身者であれば、カレを知っているヒトがいるはずだ。見た目はパンクロッカーで、顔は白塗りで、目のまわりがフチどりされている。おそらく還暦はすぎているであろうミュージシャンである。

 なんで千葉県で有名なのかというと、ローカル放送局の千葉テレビで番組を持っていたからだ。しかもジャガーさんは実業家でもあって、番組枠を買って、自分の番組を流していたのだ。その番組は、さすが枠を買い取っただけあって、”自由”な番組であった。

 そんなジャガーさんであるが、さいきんでは全国区になりつつある。日本テレビの「月曜から夜ふかし」という番組に不定期に登場しているのだ。さすがにMCのひとり、マツコ・デラックスは、千葉出身だけあって、ジャガーさんを知っていた。だからこそジャガーさんも出つづけているのであろう。

 最近ではジャガーさん、番組の企画でいろんなところに行かされている。つい先日は北海道の美瑛に行っていた。自然豊かな美瑛の大地を舞台に、ドローンでジャガーさんが歌っている姿を撮影していたのである。

 その企画じたいはいいのだが、VTRの最後の部分を観て、僕は切なくなってしまった。当日は現地のヒトたちも協力していたのだが、さいごにそのなかのひとりがみんなで集合写真を撮ろうと提案した。けれどもみんなその提案に見向きもせず、それぞれ帰ってしまったのだ。

 それをみてスタジオでは爆笑していたが、僕には笑えなかった。もちろん爆笑するのは”お約束”として正しい。あそこはスタジオにいるマツコや関ジャニの村上くんは笑っていいのだ。むしろ笑ってあげないとジャガーさんが救われない。

 ただ表面的にはそうなのだが、裏を見ようとすると笑えない。最後のジャガーさんの背中が、悲しげにみえてしまうのだ。顔は白塗りだから表情はわかりづらいけど、見えてしまう。異端がゆえの孤独みたいなものが。

 やはり地方の田舎のヒトは異端の者に冷たい。それを非難するつもりはないけれど。というのもそれは、素朴というのと表裏一体であるし、都会とちがって、集合体を守るがゆえの本能である可能性があるから。

 テレビというのは残酷だ。テレビカメラをとおしてしまうと、作為があるないにかかわらず、”ありのまま”をみせてしまう。しかし僕は、テレビの見え方うんぬん関係なく、シンプルにジャガーさんがスキだ。結局、それしかいいようがない。

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続くかぎり、僕は君の傍にいる。