KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

【NHKアーカイブス】”ポロロッカ”を知らなすぎた僕

 ”ポロロッカ”というコトバは知っていた。なんで知っていたのか。それは昔に観たあるクイズ番組であまりにも衝撃的な映像を観たからだ。そのときのクイズ王に西村賢治さんというヒトがいたのだが、カレが”アマゾン川で…”と出題者が言ったところで、素早くボタンを押し、「ポロロッカ!」と正解を答えたのだ。

 

 


そのときの映像がこちら

 ちなみにポロロッカというのは、現地語の”大騒音”、日本でいうところの海嘯(かいしょう)である。つまりアマゾン川の逆流現象だ。その勢いたるやすさまじく、それを撮影しようとしたアメリカ人やドイツ人のテレビスタッフが命を落としたそうだ。

 そのポロロッカを今度はNHKのスタッフが、撮影しようと試みて成功した。それが昭和52年のNHK特集「ポロロッカ アマゾンの大逆流」で当時、視聴率26.6パーセントという高い数字をたたき出したのであった。


NHKアーカイブス 「テレビが伝えた知られざる世界~“N特”放送40年 自然・紀行... 投稿者 WWAYY


NHKアーカイブス 「テレビが伝えた知られざる世界~“N特”放送40年 自然・紀行... 投稿者 WWAYY

 ポロロッカ。映像で観るとたしかにすごいのはわかる。しかし実はこういう番組で面白いのは、現地のヒトの生活の様子であったりする。まずテレビスタッフがやってくる姿を観て、子どもが泣く。そりゃそうだ。電気も通っていない小さな村で平和に暮らしていたのに、いきなりわけのわからない異邦人がやってきたら泣くわな。

 そして小舟に乗って分教場に学びにいく子どもたち。年齢もさまざまで中には65歳のじい様までいる。そしてみんなが一緒に学ぶ。ここで考えさせられるのは、こういう環境だから高等な教育は受けられない。でも小さい村で飢えずに平和に暮らしていけるのなら十分なのかなということだ。あとは生きていく知恵だけ身につけられたのなら。いわゆる「読み書き計算」だけで。

 まあそんなのは日本に生まれて生きているニンゲンの傲慢な物言いにすぎないのだが。でもヒトのいい村民たちをみるとついそんなことを思ってしまうのだ。

 ひとつ気になったのは、ある子どもが日本のレトルトカレーを持っていた映像だ。スタッフが好意であげたのかもしれないけど、ちょっと罪づくりなことをするなと感じた。この子が村でのみ暮らしていくとしたなら、二度と手に入れられないじゃないか。

 この子は僕と同い年ぐらいのはずだ。いまはどうしているのだろう。もしかしたらこのククレカレーの思い出があって、村を出て行っていたらどうしようなどとつい考えてしまった。むろん40年も前の光景だ。いまは電気も通っているかもしれないし、お金を求めてもっと文明の発達したところに行くヒトもいるかもしれない。

 あの村はいま、どうなっているのだろう。ちょっと複雑だ。

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り、僕は君の傍にいる。