KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

本棚がいらなくなるときってほんとうに来るの?


本が好きな人やお金持ちほど、本棚を必要としなくなる理由(All About News Dig) 


電子書籍で読める本も増えてきましたし、電子書籍でしか読めない、ニッチな本もあります。本が好きな人は、電子書籍も買わざるを得ないのです。

 

イノベーター(革新者)やアーリーアダプター(初期採用者)といわれている先進的な方たちのブログを読んでいると、持っていた紙の本を全て売って、電子書籍に替えている人もいる。

 

今までは、本とスマホの両方を持って生活していたが、本を持たずに外出して、スマホで読書できるのは便利なのです。また、電子書籍は一度買うと、iPhoneでもiPadでも、他のデバイスでも読める。

俺もそれなりに本を読むんだけどさ。
どうも電子書籍って手になじまないんだよな。
古いやつだとお思いでしょうが。
とりあえずイノベーターとかアーリーアダプターでないのは確かだ。

ちなみに俺は、神奈川県藤沢市にある6畳一間のアパートでひとり暮らしをしている。
アパートは東海道線辻堂駅から徒歩25分のところにある。
いちおうトイレと風呂はあって、小さいキッチンもあり食事はほぼ自炊する。
まあいわゆるひとつのどこにでもいる独身の肉体労働者だ。

本棚は結構なスペースをとっている。
そのほかにテレビやステレオ、タンス、冷蔵庫と文机がありお世辞にも部屋が広々しているとはいえない。
ただ結構大きな押し入れがあって重宝している。
そんな俺の読書傾向を書きとめてみたいと思う。


基本的に文字の本は、新刊は新書本か文庫本しか買わない。
ほとんど小説は読まないんだ。
好きな作家さんがみなさんすでに亡くなっているし。
ただひとりご存命なのが丸山健二氏だが、寡作な作家さんだし新作が発表されても図書館で借りて読んで、文庫が出たら買う。

作家さんにとってはたいへん不良な読者だな。
次にこれは習慣なんだけど、大事だと思ったところのページの端を折り曲げる。
そしてもういちど後で確認するのね。
この習慣が染み付いているから、電子書籍が自分になじまないのかもな。

簡単でしょ?端っこ折り曲げるだけだもん。
電子書籍にも似たような機能はあるんだろうけど、習慣ってなかなかやめられないからね。
そんでもって俺は、70年代カルチャーとか、子供の頃の懐かしいものに目がなくて、そういう本が結構な数あるのね。
ちょっとしたカラーの図鑑みたいになっているからかさばるんだな。

でもそういう本って、ちょっと手を伸ばしてながめたくなるのよ。
ちなみにうちにあるのはこういうのね。








こういうのはさ、紙の本で持っておきたいのよ。
コレクター心理ってやつかな。
電子書籍だと味気ないのよね。
ていうか無いよねこれらの本は電子書籍では。

電子書籍で無いといえば、俺の持っている新書本の中には教科書みたいな本があるのね。
昔の本なんだけど、普遍的なテーマであるからいつの時代でも通用するという本。
代表的なのを挙げると、







これらの本はそれこそ、たくさん端っこが折り曲げてあるんだ。
この3冊はまだ電子化されてないよね。
こういう本を電子化するとまた新しい読書のムーブメントができるんじゃないかと俺は思うぜ。
ただやっぱりね、知らない街をぶらぶら歩いていて、昔からやっている古本屋さんを発見してフラッと入って、古い新書本を見つけたりするとドキドキして手に取っちゃうんだよな。 

たぶん死ぬまで俺は、この愛すべき本たちと離れられないだろうなって思うわ。
まあ、本当に俺はイノベーターとかアーリーアダプターではない変態なので、あまり参考にならないけどね。 
でもなにかうまく電子書籍を自分なりに活用できたらいいなって考えているよ。