新潟県三条市は「和食中心の献立に合わない」などとして1日から試験的に小・中学校の給食に牛乳を出すことをとりやめた。
1日正午過ぎの三条市の裏館小学校。待ちに待った給食の時間では、これまでの給食とちょっと違っていた。三条市は市内の小・中学校30校全ての給食で1日から今年度いっぱい試験的に牛乳の提供をやめた。
児童たちは「牛乳がなかったけれど汁があるから大丈夫だと思った」「牛乳がないとのどが渇く。早く食べて水道の水を飲む」などと語った。
以前は三条市でも学校給食に牛乳は付き物だった。しかし、三条市の給食は和食中心の「完全米飯給食」。「和食に牛乳は合わない」という意見や、牛乳の購入費を省くことで消費税増税による給食費の値上げを避けられるという考えから、牛乳の提供をやめたのだ。
どうも腑に落ちない。
和食に牛乳があわないなんて誰が決めたのか。
少なくとも大多数の意見ではないはずだ。
単に、声が大きい方が勝ちになっただけ。
こんなの大人の価値観を子どもに強制しているだけでしょうに。
ごうまんな感じが否めない。
子どもたちから牛乳を取り上げる以前に、あんたは子どもたちのはなしを聞いたのか。
聞いてないで、こっちは指導する立場だからそれでいいのだというのならそんなものはファシズムだ。
だいたいコメの生産地だから給食の主食はごはん以外許さないというのは、いかがなものか。
給食はいろいろあっていいはずで。
あげパンやソフトメンが食べられないなんて、いかがなものか。
週1回は違う主食だっていいじゃないか。
そういういろんな主食を提供してこそ、やっぱりわがふるさとのお米はいいなあってなるんじゃないのか。
それが食育ってもんじゃないのか。
お米を特別視しすぎて、いろんなものを犠牲にしているんだ。
特別視するから、その陰で不利益を生じる人に目がいかない。
いや、わざと無視しているのか。
売り上げが落ちた牛乳屋さんの落ち込みかたをみて、溜飲を下げているのかもな。
基本クレーマーってそういうもんなんだ。
なにかをなくせと主張する人間というのは、それをなくして仕事などを失う人に対してはなにも考えていないものなのだ。
牛乳というのは、一種のスイーツだ。
ちょっとしたぜいたくなんだよ。
飲めない子は飲まなくていいし、それこそふりかけを替わりにあげればいい。
水筒にお茶を入れて持ってくればいいんだ。
それぐらいの自由はあっていいじゃないか。
そんなたかだか牛乳分の値上げなんて微々たるもんだ。
弁当つくるてまひまを考えりゃ安いものだし、なんといっても子供たちにちょっとした豊かさを与えられる。
牛乳の排除、それはファシズムにすぎない。