KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

もしかしたら佐村河内守は起死回生のチャンスを逃したのかもな


佐村河内氏、「IPPON グランプリ」をBPOに申し立て……審理入りへ 


両耳の聴覚を失った作曲家として知られる佐村河内守氏が5月24日に放送された大喜利王決定戦「IPPON グランプリ」(フジテレビ系)の内容について申立書を放送倫理・番組向上機構BPO)に提出していたことがわかった。BPOの公式サイトで16日、発表された。

 同番組では、「幻想音楽家 田村河内さんの隠し事を教えてください」という大喜利のお題が出され、お笑い芸人たちが「髪もゴーストヘアー」、「聞こえる、聞こえないはともかく、耳が性感帯」、「ピアノの鍵盤にドレミファソラシドと書いてある」、「ミュージシャンのくせに持ってるCDはベストアルバムばかり」といった回答をしていた。 
もちろんひとりをみんなで笑いものにするのはよくない。
ただテレビの世界においては、それがチャンスになることもある。
1回プライドを捨てて笑いものに徹することで、みそぎになる場合もあるのではないか。
そういう意味で、佐村河内守の抗議は早まった感がある。

こうして大喜利のお題になるってことは、裏をかえせばまだシャレになるという証明じゃないか。
小保方さんや、野々村さんの現状をみてみるといい。
はっきりいってシャレになっていない。
社会に出て収入が得られるかどうかもあやしいぐらいだ。

このふたりに比べりゃ、まだ佐村河内さんあなたは挽回できるチャンスがあったんだ。
犯罪者ではないわけだしさ。
そこは笑いものに徹して、テレビというメディアに貸しをつくってやるぐらいに思っておけばよかった。
世の中、便利な肩書きがある。

それが”評論家”である。
評論家という文化人枠におさまればよかったんじゃないかな。
その点、山路徹はうまかった。
そうあの大桃美代子麻木久仁子と不倫騒動をおこしたあの山路さんだ。

彼もそうとう叩かれたが、いまではよくテレビでもみかける。
当初は情けないすがたをさらけ出して笑われることもいとわなかった。
それが功を奏したというのもあるのだろう。
それから二股評論家と呼ばれるようになり、活躍するようになった。 


「自らの楽曲として(髪型を含めた独自の装いを演出して)公表しながら、実際には第三者の創作による部分が極めて大きいものであったことに関して申立人が社会的に批判されることは、やむを得ないことであり、且つ、表現行為として許容(保障)されるべきである」と主張し、「児童・青少年への影響を問題視するのであれば、障害の程度を過剰に演出し、なおかつ、別人の作曲であるにもかかわらず自分自身の作曲として公表していたことこそ問題視されるべきである」との見解を示した。
 

ほらみろ。
フジテレビさんがお怒りじゃないか。
ていうか強気だなフジテレビ。
ここは和解するしかないぞ守。

また髪の毛伸ばしてサングラスをかけるんだ、そして目指せ、聞こえないふり評論家を。