前衛アングラ芸人・きぐるいツネちゃん(明智半平太)のブログ「昭和50年代少年のKOTOBASM」

団塊ジュニア世代とも、悲劇の世代ともいわれる昭和48年生まれが管理する、昭和ノスタルジーといまを語るblog。僕たちが生きてきた証のことば。それはイズムそのものである。(明智半平太)

死の作法









生きることは権利であっても、義務にしてはいけない。
人の死に方、死に至る過程が平等ではないのだから、やすらかに死ぬ権利があってもいいはずだ。
世の中には病気で生きながらにして苦しむひとがいる。
人間にはどうしようもない苦しみはそこらじゅうに転がっている。

前にも安楽死を選んだひとのことを書いた。
老人福祉のしごとをしていると、いつも死について考えさせられる。
職場のひとと飲みに行って喧嘩になりかけたことがあった。
その場はそれ以上こちらが言うのをやめたので、おさまったのだが。

テーマは看取りについて。
うちの職場は宗教が母体なので、信者であればこの施設で看取るのは当然といわれる。
だが、こちらは信者じゃない。
それに養護老人ホームは夜勤がひとりなのだ。

なにかあったときにどう責任とれるのか。
現場にでない人間は理想論ばかりいう。
死ぬまでの支援をやらされるこちらはどうなるのか。
そもそも当然なんてどこがどう当然なのか。

だから簡単に安楽死をよしともいえないしむずかしい。
ただいえるのは、相手の意志を最大限に尊重することがだいじだということだ。
ひとをテロにいかせようとして、みたこともない天国を「ある」といえてしまう人間が大嫌いだ。
そこに意志の尊重のかけらもない。