KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

福田彩乃の好感度が下がっている?だからなに?

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福田綾乃さんというひとも、よくメディアに攻撃されるひとであります。
だいたいその論調は、「芸人のくせに」というものです。
それほどまでに”俳優”と”芸人”というのは、区別されなければならないもので、”芸人”というのは、下にみられなければいけない存在なのでしょうか。

元記事はサイゾーさんですよね?
サイゾーさんというのは、それだけえらいメディアなのでしょうか。
小生は知らないので、サイゾーというメディアが、軍人の階級にたとえたらどれだけ偉いのか、誰か教えて下さい。

13年2月をピークに、テレビ出演数が右肩下がりの福田。好感度を回復し、再浮上することはできるだろうか?

引用元:サイゾー 
そもそも芸能人に好感度って必要なのでしょうか。
好感度、好感度いうけど、それって要は”芸人”なのだから、バラエティ番組にだけ出てろ、バラエティ番組に出るため自分たちにへりくだって好感度上げろ、上げられなかったら消えろってことです。
まあくそくらえってかんじですけど。

お笑いをやる人間がドラマや映画で演じたり、逆に俳優がバラエティやコント番組に出るのは普通のことです。
そこらへん表現する側のほうはボーダレスに考えていて、大事なのは出る側のにんげんの特性なのです。
福田綾乃さんのこだわりとしてあるそのプロ意識というのは、特性として尊重されてあるべきで、メディアから生意気などといわれる筋合いはないわけです。

それでもし需要がなくなれば、それまでの才能だった。
それは、表現する人間なら、誰しもがわかりきっていることなのです。
だからそこらへんは、嘘か本当かわからないようなことを並べて、嘲笑の対象にし、金をかせぐような、三文メディアにとやかくいわれる筋合いはないのです。 

もし有吉さんが本当に、「女優ぶってるんじゃねえ」って言ったとしましょう。
小生に言わせれば、お笑いの立場を低くして、ひたすら媚びているんじゃねえって話です。
女優なら許されて、お笑いには許されないのか?
そう言いたいのであります。

お笑いにばかり身分というものを押しつけられ、それにお笑いが甘んじていたら、いつまでも蔑まれたまんまです。それほど、俳優や文化人は自由で、ブラウン管からみえる姿は面白く映っているのです。
このままではお笑いは、たんなるネタふりするだけの、ただ俳優や文化人をおいしくするための引き立て役に終わります。