タフでなければ生きて行けない。優しくなれなければ生きている資格がない。

戦争をしたいのではなくて勝ち戦に乗った国の民でいたいのだ

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戦争をのぞむにんげんは、わざわざじぶんから、戦場の前線には立ちません。
戦争というのは、優等人種と劣等人種の仕分けであると、小生はかんがえています。
もちろんにんげんがにんげんを優等だ劣等だとわけられるはずはありません。
あくまで欠陥的なシステムではあるのですが、それでも戦争はいろんなところで、くりひろげられているのです。

今回の人質事件を受けて、ネットなどでは「イスラム国にやり返せ」という声が高まっているし、首相の安倍も「罪を償わせる」と過激な物言いをした。日本人のなかに戦争を求めるムードがあるのは確かだろう。しかし、果たしていまの日本人にイスラム国と本気で戦争するだけの覚悟はあるのか。

小林よしのり氏 ネトウヨはイスラム国と戦う勇気ない野次馬 より引用
なぜ好戦的なにんげんが、ネット民のなかにあらわれるのかというと、自分は優等民族であるという表明したいからなのです。
そしてじぶんより劣等なにんげんが戦場に行くべきだと考えているのであります。
だから小林よしのり氏が、戦争をする覚悟をもとめることじたい、ムダなのです。 

それにだれも負け戦をわざわざしようとかんがえるひともいません。
理想としているのは、相手の陣地を攻めて勝つことです。
そうなればじぶんの陣地は攻められませんから。
じぶんに累がおよぶような自国が攻められる戦争はまっぴらごめんなのです。

ほんらいは自分の国が攻められたら、愛国心や愛する者を守るために立ち上がるものなのですが、そういう観点は、いまの好戦的なひとには欠けているように感じます。
だからイスラム国と本気で戦争しようなんてひとはいないと思うのです。
イスラム国に勝ったところで、領地がふえるわけでもありませんから。

まとめると、好戦的なひとたちが望む戦争というのは、自分は戦闘に参加しない、相手を攻めて自分は攻められない、勝ったら領地が得られる戦争なのです。
それこそ経済的、社会的な閉塞感から解放されるための戦争なのであります。
太平洋戦争のころとはわけがちがうのです。

あのころの戦争は、じぶんが戦地に行くことで国や愛するものを守ろうとしました。
戦況が厳しくなればなるほど、そういう使命感が強くなっていったと想像します。
戦争ってそういうものだと思うのです。
よく好戦的なひとたちは、平和ボケということばをつかいますが、いちばん平和ボケなのは、そういう好戦的なひとたちなのであります。