タフでなければ生きて行けない。優しくなれなければ生きている資格がない。

ネットニュースはこういう書き方するから遺恨が残る

番組では、ネット文化の未来について討論した。現在ネットでは、動画投稿サイトのYouTubeにさまざまな動画を撮影、編集して投稿する「ユーチューバー」なる人々が多くいることや、歌ったり踊ったりした様子を収めた「○○してみた」とのジャンルが人気を博していることなどを紹介した。


これらの現象について、評論家の古谷経衡氏は「全部見たわけじゃないけど既存のコピーでしょ?」「オリジナリティ何もないですよね?」などと否定した。


すると、西村氏は「『踊ってみた』の振り付けはユーザーが作ってますよ?」「曲もユーザーが作ってニコニコ動画にアップして、それに振り付けをつける」と反論。これに、古谷氏が「違う違う、ほとんどコピー」と首を振ると、西村氏は「僕、ニコニコ動画の管理やってたんで、『違う』って言われても僕の方が詳しいと思うんですよ」と、失笑してしまった。


古谷氏は思わず沈黙してしまうが、「それだって、コピー、コピーの」と言い返そうとしたところで、西村氏は「あの、嘘言うのやめてもらっていいですか?」と一喝した。

2ちゃんねる開設者のひろゆき氏が評論家を一喝「嘘言うのやめて」 


そしてやはりインターネットって偏っている情報ばかりだよねってことになる。いくらひろゆき氏が自分らの代弁者だったとしても、もっと客観的な視点で中立的になるように書かないと。一方を嘲笑するような方向にもっていくのは、新たな遺恨を生み出すだけだとおもう。


ネットニュースの記者は、もうすこし自分らの影響力の大きさというのを考えないといけない。 テレビで観たことを記事にするだけだから、色をつけたくなるのもわかるけどさ。少なくともひろゆき氏は一喝はしていない。


あの独特なへらへらした底意地の悪いかんじの顔でふつうに、「嘘言うのやめてもらっていいですか?」って言っただけだから。そこがおもしろいところなのに、”一喝”なんて怒ったように書いたらダメでしょう。張本勲みたいじゃないか。





ちなみにこちらはその”一喝”されたほうの古谷経衡氏のことば。文化ってそもそもなんだろうか。小生はいまいちわかりません。 ただいえるのは、模倣ができないにんげんは、あたらしいものもつくれないということ。あたらしいものってなに?っていわれると、また返答に困るわけだけれども。


あともう一つ、あたらしいものをつくろうとするひとは、つくろうとしないでただ嘲笑するだけのひとと言い合いをしてもたいてい負ける。あたらしいことをやろうとすると、ツッコミどころなんてたくさんできてくるものだから。向こうは無いから。だからまわりに煽られてのこのことそういう場に出てきてはいけない。


だからあたらしいものってなに?っていわれてもこたえられません。それがあたらしいものだから。