KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

ああ夏の甲子園

大会出場は、試合に勝つよりよっぽど難しい目標だったから。

 昨夏、上級生が引退し、部員は杉江とマネジャーの迫田百加(ももか)(2年)の2人だけになった。東浜卓監督が部活に顔を出さないとキャッチボールもできない。グラウンドを走り、壁に向かってボールを投げた。1人での練習。でも、「僕は1人じゃなかった」。

主将とマネジャー2人きりだった野球部、笑顔の敗退 


ことしもこの季節がやってきた。灼熱の中での試合に坊主頭、じつに高校野球というものは不条理である。青春時代には気づかずに、おとなになってから気づいてしまう。それが不条理というものだ。


しかし高校球児たちは、不条理をものともしない若さで乗りこえてしまう。地方大会の会場にいくと、試合前に平気でランニングしていたりする。そんな彼たちを小生は馬鹿にはできない。むしろ神々しいものとしてみてしまう。


根性論はきらいなのだが、だからといってそれでがんばる彼らを否定する権利は小生にはない。 せめて水分はちゃんと摂ってほしいなあとおもう。しかしむかしはなぜ水分も採らせてもらえなかったのか。これもまた不条理である。


いまや少子化で、高校球児も減っているとか。じぶんの出身高校もさいきんでは部員不足で、ここのところは混成チームで出場しいつも一回戦で敗退している。これも時代の流れなのでいたしかたない。


なのでこういうニュースを目にすると、ほんとうによかったなあっておもってしまう。やはり混成チームよりは、母校の代表として出るほうがいいに決まっている。試合出場メンバーをそろえたことに拍手をおくりたい。


なんか終わり方が、朝日新聞天声人語みたいになってしまった。