KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

マジメな福祉専門学生に奴隷根性をすりこむなカス

職場に研修でとある福祉専門学校の学生さんがきた。第一印象は、勉強は苦手なかんじだけど、マジメで純朴そうな男の子である。その男の子のお年寄りに対してはなす姿勢におどろいた。


車椅子に載ったお年寄りよりも低い姿勢で屈みこみ、しかも膝も床につけない。つま先だけで体の重心を支えて話をしている。 見るからに辛そうな体制である。もっとリラックスして話してもらいたいし、なにより体が辛いだろうとおもい、その男の子に声をかけた。


「お話するのに、それじゃ大変だから、椅子に座って話しなさい。」

すると彼は言う。

「学校でお年寄りにたいして、こういう格好で話せと教わりました。」


なんだそれは。あまりに馬鹿馬鹿しい話である。即座にその実習生の子に言った。

「介護の仕事は、そんな根性論でなんかできやしないのだから、いいよ座って話しなさい。俺が許す。」

すると彼は素直に椅子に座って、ふたたびお年寄りと話しはじめた。いやほんとあれじゃ膝とか壊すよ。


福祉専門学校の教員はいったい何をおしえているのか。要は介護のしごとをするにんげんは、お年寄りに絶対服従とでも教えたかったのであろうか。げんにそういう介護福祉関係者というのは、くさるほどいる。


しかしそれはうらをかえせば、ただ単にお年寄りという存在を介在させて、下は上にぜったい服従ということを若者の身に叩き込んでいるのだ。じぶんにとって、都合のいい下働きのものをつくるための詭弁なのである。 


とうのお年寄りだって、話しかけてくれる若者にはリラックスして話してもらいたいとおもうはずだ。仰ぎ見られて楽しい会話なんてできやしないのだから。 ほんとうになにを教えているのか。カスだわ。