タフでなければ生きて行けない。優しくなれなければ生きている資格がない。

「祭とヤンキーとテキ屋」平松愛理に歌ってほしい

浜降祭とは

天保9年(1838)、寒川神社の神輿が、例年春に行われる国府祭(こうのまち)【大礒町国府本郷】に渡御した帰途、相模川の渡し場で寒川の氏子と地元の氏子が争いを起こし、川に落ちて行方不明になってしまいました。
その数日後、南湖の網元である孫七さんが漁の最中にこのご神体を発見し、寒川神社に届けたことを契機に、毎年同神社の神輿がそのお礼のため南湖の浜に赴き、「禊(みそぎ)」をするようになったと言い伝えられています。
一方、江戸時代後期に幕府がまとめた『新編相模国風土記稿』によると、鶴嶺八幡宮では寒川神社のお礼参りよりずっと古い時代から、心身の罪やけがれを清める「みぞぎ」の神事を行うため、毎年浜辺への渡御が行われていたとあります。


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神輿は各々の神社からかづがれてきて、朝の5時ぐらいに、茅ヶ崎の海岸にやってくる。そういうわけで、4時ごろから小生も彼らの到着を待ちつづけていた。神社によってはけっこうな距離がある。5キロぐらいの道のりを担いでくるところも。


そうまでして、なぜかれらは神輿を担いでくるのであろうか。じつは理由なんてないのかもしれない。とりあえず、思案にくれてふとあたりを見渡してみると、コンビニの前でたむろしていたヤンキーは、ここぞとばかりに生き生きしていた。


そうだった。祭りの会場というのはヤンキーと、ふだんは日陰に生きるテキ屋たちのサンクチュアリだったのだ。靖国神社のみたま祭りは屋台が出店禁止になってしまったが、ここでは健在だった。この漁村のまわりに棲む地元のヤンキーたちは、わきまえているところはわきまえているらしい。


やがて神輿は、みそぎのために海へ入っていった。そうだ、みんなふだんはやんちゃをしているけれども、担ぐものたちも、まわりでみつめるものたちも、みんなみそぎをするためにこの儀式に集まってきたのだ。


そして儀式がおわると、また神輿をかついで、各々の神社に帰っていった。

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往路だけでみんなこんなにぐったりしているのに、はたして復路は大丈夫だったのだろうか。