KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

男の修行場・ラーメン二郎

人生で大切なことはラーメン二郎に学んだ (光文社新書)人生で大切なことはラーメン二郎に学んだ (光文社新書)
(2013/09/18)
村上 純

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前回の日記で昔ながらのラーメン屋について滔々と語ったが、今回はその対局にあるとも言えるラーメン二郎について語りたいと思う。
しずるの村上純さんが著した新書本、「人生で大切なことはラーメン二郎に学んだ」を購入したのは前回も書いた。
許諾の問題などでラーメン二郎さんと揉めたらしいが、本の内容自体は素晴らしい出来上がりだと思う。
愛を感じるし、知らない人にも分かり易く解説している。
だからこそ、揉めたのかもしれない。
知ろうとしない人間にまで、俺たちの事を広めるんじゃないよという事で。
私も何回か行った事があるので、あえて言うが二郎が好きな人を称した「ジロリアン」というのは差別用語なのである。
多くの人にはラーメン二郎のラーメンって餌なのだ。
カウンターで横一列になって大の男が野菜や肉がてんこ盛りになった丼の麺を食べている姿は確かに豚の給餌に見えなくもない。
こんなのを食べるのは、ダメ人間だ。
だがしかしジロリアンは迫害を受けようがお構いなしに横一列になって、無心にずるずるっ、ずるずるっと麺をすするのだった。
それはなにかの宗教の修行場にも見える。
客は無駄口を一切叩かず、聞こえてくるのは麺をすする音だけ。
まるでいつか見たガンジス川の沐浴の様だ。
二郎のラーメンなんて体に悪いに決まっている。
だが、そんな現実をありのままに受け入れ、男達はただただ麺をすする。

ずるずるっ、ずるずるっ

なんだこれは。

食べ終わるとカウンターの台の上にどんぶりとコップを置き、ふきんで自分の食べた所を拭き店長さんや店員さんにごちそうさまの挨拶をするのである。
するとお店の人達が威勢良く、ありがとうございました!と応えてくれる。
そして男達は俗世間へと帰って行くのであった。

最後に。
私が好きなのは湘南藤沢店だ。