KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

そもそも政策って必要なの?

しょせん選挙民をだまくらかす方便じゃん




政治というのは不公平を強行する手段

どんなにきれいごとを言おうが、結局は金持ちをいかに優遇し庶民を生かさず殺さずどう負担させるかってのが資本主義国の政治ってもんでしょ。
だから可視化できる政策なんていうのは所詮は隠れみのに過ぎない。
選挙に立候補した時に政策があるかないかなんてぶっちゃけどうでもいい。
さらにいえば選挙に立候補するのにセンスがあるかないかなんて本当にどうでもいい。
机上の論理しか語れない年老いた学者が、いま行動しようとせんとする若者に上から目線で止めろとか言う方がよっぽどナンセンスだ。


政策よりも立候補した人間の生き様をみて投票すればいい

候補した人がどういう経歴でどのような生き方をしていたか、自分が興味を持った候補者だけでもいいから調べてみるべきだ。
それである程度、この人は当選したらどういう人の為に仕事するのかおのずと見えてくる。
政党なんてもはや形骸化しているわけだし。
いまや残っているのは自民党共産党だけで、あとは空気を読んで自民党とくっつくか離れるか決めるだけののこり滓だけ。
最後は結局、人を見るしかない。