KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

それでも私が今井舞を許さないと思う訳



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以前私は、デヴィ夫人も今井舞も…謝らないでほとぼり醒めるの待った者勝ち社会という記事を書いた。
STAP細胞小保方晴子さんに関する架空の悩み相談記事について、朝日新聞が謝罪している陰でだんまりを決めこんでいる今井舞について、他の人が朝日新聞ばかりを叩く状況にいまだ納得がいっていないのだ。
叩く人にとってみれば、この今井舞の記事は朝日新聞を叩く格好の材料なだけにすぎないのかもしれない。
おそらく今井舞はこのままほとぼりが醒めるまで何もこの件に関して言葉を発しないであろう。
しかし私はどうにかして、今井舞を引きずり出して、謝罪をさせたいと願っているのだ。
なんでそこまでと思われるかもしれないが、これにはわけがある。

フジテレビの山崎夕貴アナウンサーを皆さんはご存じだろうか。
私はこの人のファンなのであるが、ある時に今井舞がサイゾーウーマンのサイトでこんなことを書いていたのだ。

以下サイゾーウーマンの記事より引用

◎貧乳アナへのおせっかい
啓蟄も過ぎ、そろそろブスに脂が乗ってくる時期。フジの山崎夕貴アナも、旬にイキイキ輝きを増している。
とんねるずの番組で、劇中用とはいえ、本当に火薬の入った拳銃をブッ放しながら、ロケを引率。人に向けて撃ったり、バス内で銃をかざしてメンバー脅したり。苦情の来そうな内容に、ブスの映えること。
顔だけでなく、体が動くたび、胸元付近の貧相さにも釘づけだ。
ぺっしゃーん。
寄せて上げて天使だの恋するだのメガ盛りだの、これだけ機能の発達したブラジャー溢れる現代日本で、どうやったらあんな貧乳に。

ティッシュでも残飯でもいいから、とりあえず何か詰めとけ。



テレビに出ているアナウンサーなのだから、ファンといえども「ブス」と言われるのはガマンしなくちゃいけないかもしれない。
過剰な反応をしようものなら、山崎アナを悲しませてしまうかもしれないし。
だが、こともあろうに「胸が無いから残飯詰めとけ」とは何事か。
女子アナにそんなものを求める筋合いなどない。
何が「ぺっしゃーん」だ、ふざけるな。
だったらあんたは見本になるようなみてくれなのだろうから表に出てこい。
そう私は言いたい。
同性の言葉なのだからいいだろうという計算なのだろうが、こういう物言いを私は許すことができないのだ。
読んでいる人には大人げないと思われるかもしれない。
でも読んでくれている人にだからこそ、私は正直な気持ちを打ち明けずにはいられないのだ。

すいません。

それじゃ失敬。


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