KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

お笑い怪獣・明石家さんまに感動や感傷や一生懸命なんて言葉は不必要



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ライブドアニュースより引用

1984年4月からレギュラーを務めたさんまは、11年半後の95年9月に突如として降板。その理由について、自身のラジオ番組や、12年11月に出演した『いいとも』内で、自ら語っている。

「原因は、エンディングコーナー『爆笑オールスター・タモリンピック』(後の『曜日対抗いいともCUP』)だったとか。
当時、同コーナーで網の下をくぐる競技が行われたのですが、さんまが網に引っ掛かり『さんまが捕れた』というギャグをしたところ、ディレクターに『そういうコーナーではないので、真面目にやってください』と注意され、口論に。
いかなる時も“笑いは必要”と考えるさんまと、スタッフサイドが折り合わず、さんまから『やめたるわ』と降板したそうです」(芸能ライター)


この事に関して、さんまさんとディレクターとどっちが間違いだったのか。
チームプレイのゲームでウケを狙って、敗退行為に繋がる結果になるとシラけるものだ。
だが、さんまさんはこのギャグでかなりウケたとか。
実はどっちも間違いではない。
ただひとこと言えるのは、さんまさんに関しては、ゲームをマジメになってやれというのは無粋だったということ。
さんまさんがいない番組ならそういうゲーム企画を入れてもいいが、いる場合はもうハナから成立しないので止めておいた方が無難だ。
さんまさんは生きる為に笑いを取りにいく人だから、彼から笑いをとることを奪うのは生きる意味そのものを奪ってしまうということになる。

参考までにさんまさんの生い立ちの一部を簡単に。
さんまさんは3歳のときに母を失い、その後父は再婚する。
継母はその後生まれたさんまさんの異母弟ばかりをかわいがりさんまさんを無視し続けたそうだ。
それでもさんまさんは、継母と仲良くしたい一心で面白いことばかりを考え笑いを取りにいくようになった。
普通の人ならどこか壊れても不思議ではない。
人によっては、自殺したり、継母に危害を加えようとするかもしれないぐらいのシチュエーションといってもいいぐらいだ。
それでもさんまさんは生きるために最良の道はなにかを追求し、そして笑いを取りに行った。
笑いを取りにいくことが生存本能そのものだったのだ。
ちなみに異母弟さんとは仲がよかったそうだが、異母弟さんは19のときに実家の火事で亡くなっている。
こうなってくると心の中で、感動や感傷というものが形骸化しそうになる。
だからそれらを排除し、笑いを取りにいくことに求道的になったのではなかろうか。

それにしても笑っていいともファイナルでのタモさんとのトーク面白かったな。
時が経つのをいつしか忘れてしまった。

それじゃ失敬。

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