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頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

「髪の色」が黒でないと「卒業式」に出られない! そんな高校はありなのかって? そんなもんありに決まってんじゃねえか



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「髪の色」が黒でないと「卒業式」に出られない! そんな高校はありなのか?(弁護士ドットコム) - BLOGOS(ブロゴス)

学校でも職場でも、集団というのはそういうもので、一定の秩序がなければ成立しない。
高校生にとっては不条理だと言いたいかもしれない。
しかし不条理も含めて人生なのだ。
まだこうして禁止であると明らかになっている分だけマシだ。
大人になってくるとこれに”暗黙の了解”というのが加わってくる。
これは法律よりもある意味強い。
学校や職場でいじめが起きて、いじめられた方が自殺したとしよう。
それでもいじめる側が多数派であれば、”暗黙の了解”で無かったことにもされる。
たまに内部告発なんかで公になって罰せられたりするが、それは罰する側の人間が多数派になったというだけのことなのだ。

この卒業式の件に関して言うと、卒業式に出席するには黒髪でなければいけないという大人たちの暗黙の了解というものがあるのだ。
未成年なのだから、まだまだ未熟であり、管理が必要である。
管理するためには、画一化が必要であり、髪の毛の色を揃えるというのは管理の一環である。
そういう暗黙の了解がある。
個性なんて尊重していたら管理などおぼつかない。
これは大人になってくると身に沁みてわかってくることなのだ。
不条理に思うかもしれないが、そういうこともあるというのをわかっていないと、年をとって苦しむことになる。
もし本当に納得いかなければ、出席しなければいいのだ卒業式なんて。
別に出席しなくたって卒業証書なんて後から貰って卒業できるのだ。
そういう選択肢だってある。
髪の毛の色で個性を主張するのなら、そっちの方がよっぽど個性的だ。
言っておくが「基準が厳しすぎる」「度が過ぎている」なんて言っている大人が、じゃあ実際にそれを”良し”とする側の人と面と向かって戦うことができますか?と言ったら、できる大人なんてそうそういないから。

結論。
そういう不条理をたくさん知っておいた方が、いざという時に戦える。

以上。
それじゃ失敬。



 
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