KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

板東英二の生そのものにたいする執着心

(シリアやイラクの)難民の方が命からがら逃げてこなくてはいけない祖国の状況というのを僕らの国ではニュースで伝えないじゃないですか。それが問題だと僕はおもうんですよ。


以上は東京MX「バラいろダンディ」における板東英二のコメントである。そこからさらに戦時中の満州にいたころのはなしになる。終戦時に5歳だった坂東だが、満州の気候はきびしく、貧しいくらしのなか、寝るときは木にくくられて眠っていたのだとか。


というのも、地面に寝てしまうと冷たいので凍死してしまうからだ。終戦後、福岡に着いて小さな小屋にいれられて、 炊き込みご飯のおにぎりをもらったのをいまでもおぼえているとも語っている。


坂東といえば、所得隠しのこともあって、金には汚いイメージがあるが、金にたいする執着というのも、彼なりの生に対する執着心のあらわれであったのかなあと、さいきんの彼を観ているとかんじるのであった。


おもえば彼はお金ではいろいろ話題になったり問題になったりするが、それいがいのところでは、あまり汚いところというのは見あたらない。たとえば女性にたいしてもぜんぜんギラギラしていない。オヤジのエロさみたいなものがまったくないのだ。


所得隠しのときに問題になったカツラを経費にしてたという話だって、あれもあくまで芸能人としてイメージを大事にするゆえのことで、それも金のためでもあり、必要経費であるという考えがあったのであろう。


そう考えてみると、彼にとってお金とは純粋に生きるための手段であり、野球選手をしながら副業をしたり、芸能活動をするのも、彼なりの本能がそうさせるのかなと考えさせられるのであった。


しかしやはりあれだなあ。板東英二といえばドラマ「毎度おさわがせします」だな。気の弱いミポりんのお父さん役。どうもあのシェイプアップ教室のシーンのレオタード姿が頭から離れないのである。



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