KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

エベレストの「死の領域」

George_Mallory_1915
ジョージ・マロリー(1886-1924)
秋季エベレスト(8848メートル)への単独・無酸素登頂を8日に断念した登山家の栗城史多さん(くりき・のぶかず=33)が15日、ツイッターを更新。秋季エベレスト登頂の難しさを主張した。

(中略)

栗城さんの元にツイッターで意見や批判が届くそうで、「たまに今回の登山に関して、ツイッターで『あーすれ、こーすれ』と言ってくる人いるけど、なぜ自分は実際にやってみないのかな?想像やネットで得た情報だけを僕にぶつけるのではなく、自分も実際にやってみて得たことをぶつけて来て欲しいね」と苦言を呈した。

栗城史多氏 秋季エベレストは「登頂じゃない=失敗というレベルじゃない」 


世界の最高峰であるエベレストには、デスゾーンというものが存在するそうです。人間が生存できないほど酸素濃度が低い高所の領域を指す登山用語です。なぜそんなところがあるのにエベレストに登るのでしょうか。


「そこにエベレストがあるからだ」と言ったのは、ジョージ・マロリーですが、そのカレもエベレストで遭難死しています。しかも遺体が見つかったのって、遭難してから75年後ですからね。どれだけすごい山なのかわかりますよね。


栗城史多さんはそんな恐ろしい山に無酸素で頂上をめざした。以前の登山で凍傷により指を無くしたというのに。それでも冒険心は衰えていないわけです。もはや普通の生活には戻れないのです。無謀だといわれようが。


いくら登山の経験があっても、エベレストに登ったことのないニンゲンが、Twitterのつぶやきでアドバイスできるようなことでは無いのですよ。ヒトの叡智を超えているわけです。エベレストの恐ろしさというのは。


スポンサーからお金もらって云々という批判はあるかもしれないですけど、これは成功ありきのお金では無いのかなと考えるわけです。ロマンそのものにお金を払っていると言ってもいいのではないでしょうか。


そのロマンに対して、お金を払うヒトがいるとしたら、失敗しても誰も責めることはできないのかなと。 プレゼンの時点で栗城史多に賭けてみようと思ったヒトがいるわけですから。もしこいつはダメだということになったら、おのずとお金を出すヒトもいなくなるわけですしね。