前衛アングラ芸人・きぐるいツネちゃん(明智半平太)のブログ「昭和50年代少年のKOTOBASM」

団塊ジュニア世代とも、悲劇の世代ともいわれる昭和48年生まれが管理する、昭和ノスタルジーといまを語るblog。僕たちが生きてきた証のことば。それはイズムそのものである。(明智半平太)

男だが羽生結弦は好きだ







16日放送の「5時に夢中!」(TOKYO MX)で医師のおおたわ史絵氏が、男子フィギュアスケート羽生結弦を批判しづらい風潮があると指摘する一幕があった。

(中略)

 番組では「夕刊ベスト8」のコーナーで、日刊ゲンダイに掲載された、劇作家・松崎菊也氏の連載記事「ひねくれスポーツ論」を取り上げた。

記事の中で松崎氏は「なぜ男は羽生結弦が嫌いなのか?」と問題提起したうえで「男なんちゅうものは完璧に完璧を演じて完璧だろどうだ!と言い放つ男が嫌い」「ヒーローは少々間が抜けていたほうが親近感がわく」と持論を展開している。

司会のふかわりょうからコメントを求められたおおたわ氏は「今のこの日本でね、羽生結弦を『嫌い』って言ったら、そうとう非国民っていう感じにはなりますよね」と指摘し、笑いを誘った。

「羽生結弦を嫌い」と言えない空気感…なぜ男性は「羽生が嫌い」なのか 


”男”とひとくくりにして、そこに私を加えるのは止めてもらえないだろうか。そんなものは個人の好き好きではないか。嫌いだったら別にそれはそれで堂々と主張すればいいだけの話だ。そんな主張にいちいちこちらは目くじらなど立てない。別に非国民だとも思わない。


そこで言うところの親近感というのは、ようは見世物として、見ている方が見下せるかどうかという話なのではないか。 そもそも羽生結弦は自分は完璧などとは言ってはいないのだ。彼こそスポーツの世界で繊細なヒトはいない。


震災における心のダメージ。喘息というハンデ。それでも常に努力し続ける姿。その脆く壊れそうな感じすらする羽生結弦という若者に私はシンパシーを感じずにはいられないのだ。性別なんて関係ないのである。 性別でくくることが下らない。


まあ”日刊ゲンダイ”の「ひねくれスポーツ論」なのだから、大げさに書いてあるのかもしれないが。連載するためにはそういう物言いというのも必要なのだろう。いかにも日刊ゲンダイといえば日刊ゲンダイらしいが。