KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

旧住友家俣野別邸庭園【12月編】

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いつのまにかあの放火され消失した俣野邸も再建がすすんだみたいである。来年には公開されるであろうか。非常に楽しみである。もう歴史を刻んだ建物は戻ることはないけれども、せめて当時のモダンな雰囲気だけでも感じることができたらとおもう。


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12月も下旬だというのに、まだモミジは頑張っていた。たしかに今年の冬は暖かいのだけれども。夕方だったからかもしれないが、日曜日だというのに庭園は来訪者もいなくどこかもの淋しげな感じがした。


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