KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

エロを求めて荒野へ立ち入ったあのころ【昭和における”エロ”の入手のしかたについて】

 そうあれはまだ平成になる前だった。高校一年生のころだ。どんなにブサイクでモテなくても、男たるものエロスに興味を持つときが平等にやってくる。そしてモテない男子は、探求心のみを抱え荒野をさまようのであった。

  いまやインターネット環境さえあれば、女性のヌードも簡単にみられる時代になった。そのせいで草食系男子が増えたともいわれている。それが本当なのか知る由はないが、あのとき荒野をさまよう男子は、少なくとも肉食であった。

 エロ本を自動販売機で買おうとする者もいた。”ど”のつく田舎で、いまは絶滅しかけているオートスナックの横に、その自動販売機はあった。買ったはいいが、ガタン!と本が落ちる決して小さくはない音があちこち外に響いて、少年をドキドキさせた。

 本の中身を見てみると、大事な場所に大きめの黒い丸が塗られていて、かえって少年のエロスにたいする探究心を増長させた。どうみてもモデルはおばさんなのだが、少年は飢えていたのだ。

 あるときは通信販売で10枚1組のエロ写真を買い求めた者もいた。雑誌の売り文句には、”隆と千代。裸の二人は見つめあい、やがて強く抱きしめあう。”みたいなことが書いてあった。

 少年はあて先が私書箱になっている時点で、その罠に気づくべきであった。だって封筒の中身は、隆の里と千代の富士が相撲をとっている写真だったのだから。昭和末期のモテない男子高校生たちの、ほろにがい青春物語。

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り、僕は君の傍にいる。