テレビニュースでは、上野動物園のパンダの赤ちゃんが産まれたという話題でもちきりだった。もちろんおめでたいニュースには違いないのだが、ちょっと過剰ではないかという気はする。
あれでは子どもが日本には上野動物園にしかパンダがいないと勘違いしてしまうのではないだろうか。実は和歌山のアドベンチャーワールドには、現在8頭のパンダがいる。しかも繁殖に何度も成功し、中国に里帰りしているのもいる。
その話はさておき、パンダと聞くと思い出す、大好きだったマンガがある。飯森広一先生の「ぼくの動物園日記」だ。週刊少年ジャンプで連載されていた、カバ園長こと西山登志雄さんの飼育員時代を描いた作品である。
この作品のなかに、昭和47年、中国からランランとカンカンが上野動物園に来て、それを観ていたカバ園長が、むかしあったできごとを懐かしむシーンが出てくる。実はいぜんにパンダを日本に呼ぼうとしたことがあったのだ。
パンダを呼ぶのには、そのとき交換条件としてキリンが必要だった。そのキリンをほかの動物園から確保するのに、交換条件として当時若きカバ園長がえらく可愛がって飼育していたアライグマが必要だった。
若きカバ園長は抵抗するのだが、結局は上司の説得によって、そのアライグマを送り出すことになる。けれどもさいしょ2頭必要ということだったキリンが、実は16頭必要だったということが判明する。ガッカリするスタッフたち。
それで結局はパンダをあきらめざるをえなくなったというハナシだ。カバ園長もかわいそうではあるが、キリンさんも立場がなくて不憫である。不憫すぎて、「キリンさんが好きです、でもゾウさんのほうがもっと好きです」とはなにごとだと言ってしまいたくなる。
松本引越センターのCMに出ていた女の子にとってみたら、とんだとばっちりだ。
今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り、僕は君の傍にいる。