子どものころ、わが家のテレビには、リモコンがなかった。というか”リモートコントロール”という概念が当時なかった。ではどういうふうにチャンネルを変えたのかというと、テレビ本体についているチャンネルつまみを回して変えていたのだ。
昭和50年代少年少女のみなさんは、なに当たり前のことをと言うかもしれない。けれども常識などというのは、けっこう意外とそのときどきで変わる。これからの時代チャンネルを、”回”したことのないヒトタチが、どんどん増えていくのだ。
電話だってそうだ。”ダイヤル回してまだ好きだよと”などという歌詞をきいても意味のわからないヒトというのは、これからどんどん増えていき、知っている我々を数的に追い越していくのである。
本題に入ろう。そのむかし、わが家のテレビのチャンネルが変えられなくなるという事態がおきた。どうやらつまみと本体をつなぐ部分がバカになったらしい。12チャンネルに合わさったままになってしまった。
おそらく原因は自分である。というのもふだんから、意味もないのにチャンネルをガチャガチャ回す子どもだったからである。厳密にいうと意味がないわけではない。それなりの理由があった。
チャンネルというのは、1から2、2から3、そして11から12と回して変えていくものだ。その逆もまたしかり。だが子ども心に不思議だったのが、12から1に回してなんでスムーズにチャンネルが移動できるのかということだった。
1から12というのは、ちゃんと順序がある。必ず3や4や6や8や10を経由するものだ。だがなぜ1から12と、12から1だけはワープできるのか、12と1の間にある”U”に秘密があるのかなどと、不思議に思いながらチャンネルをガチャガチャしていた。
それはもはや、IQが4になった子ども時代のエジソンのようであった。そんな暇があったら絵本の一冊や二冊読んでいれば、いまごろもうちょっと人生も変わっていたかもしれない。
とにかくおそらくそのせいで、チャンネルがバカになってしまったのだ。おかげでわが家は12チャンネルしか観られなくなってしまった。しかしひとつ問題があった。それは…
そうなのである。火曜日の夜7時半だけは4チャンネルに合わせる必要があったのだ。母・美喜子にとって「それは秘密です!!」が観られないというのは、死活問題なのである。
だがしかし、お世辞にも裕福とはいえない、千葉市の埋立地に建つ、市営団地住まいのわが家には簡単にテレビを買い替えるお金はなかった。しかしそんなとき、いわゆるひとつの秘策があった。
うちは父が電気工事の仕事をやっていて、工具がいろいろあった。そこでプライヤーという工具を、つまみを抜いたチャンネルにツッコんで、心棒を挟んで回したのであった。これでしばらくのあいだは、しのいでいたと記憶している。
とりあえずわが家の平和は守られたのである。
今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り、僕は君の傍にいる。