昭和のプロレス
ブルーザー・ブロディ 1988年 ※亡くなられた年 A・ジャイアント 1993年 ジャイアント馬場 1999年 ジャンボ鶴田 2000年 ラッシャー木村 2010年 アントニオ猪木 2022年 テリー・ファンク 2023年 子供の頃に団体を問わず、熱心に観…
プロレスラーの《強さ》には、勝負に勝つための強さとはまた違う強さがあると思われる。
力道山・ジャイアント馬場・アントニオ猪木の3人と戦った経験のある存命中のプロレスラーは、もはやこのヒトだけかもしれない。プロレスラーというのは早死することが多く、いうなればそれだけ肉体的に過酷な職業なのだともいえる。
突然ではあるが、日本テレビのいく道は”王道”である。日本初の民放テレビ局であるし、”日本”テレビと名乗っている。そういう意味では王道をいかねばならないという宿命を持っている。
悪役レスラーというのは、実は優しいヒトのほうがいい働きをする。逆にベビーフェイスの方は、金に汚いとかそういう裏の顔のあったほうがよかったりする。それがプロレスという一種の見世物の妙味だ。
たべこさんのブログを拝見していたら、ジグソーのスカイハイのYouTube動画があって、あまりの懐かしさで感動してしまった。スカイハイそれはあのプロレスラー、ミルマスカラスの入場曲でもある。
彼らをはじめて観たのは、テレビ東京でやっていた「世界のプロレス」という番組だった。まだ日本に来る前で、海の向こうでの暴れっぷりはかなりのインパクトを与えた。
ハンセンのばあい、キャッチフレーズは「不沈艦」よりも「ブレーキの壊れたダンプカー」のほうがしっくりとくる。近眼がゆえにものすごい勢いでリングを猪突猛進する姿は、まさにブレーキが壊れたダンプカーそのものだった。
1981年4月23日、衝撃のプロレスラーがデビューした。初代タイガーマスク。コーナーポストに立ち、見たこともないスピードで繰り広げる華麗なファイトは“四次元殺法”と言われ、子供から女性までを魅了した。だがそのマスクの下で、当の本人だけが葛藤…
新しい「タイガーマスク」。土曜日の深夜に放送ということは、大人たちを対象にしているということなんだろうけど。僕は子どものころに大好きで、よく初代のタイガーマスクのアニメ再放送を観ていたけど、現代になって新・タイガーマスクですなんて言われて…
小学生の頃、プロレスは大変な人気で、金曜日の夜はテレビ朝日で放送された新日本プロレス、土曜日の夕方は日本テレビで放送された全日本プロレスと、毎週必ずといっていいほどチェックしていた。そして昭和56年、小学校3年生のころ、タイガーマスクが鮮…