昭和のテレビクロージング
テレビをつけっぱなしにして寝てしまうことがある。そのような状況でふと夜中に目が覚めると、いつものテレビの映像とは違うモノが流れてビクッとする。いまはほぼ24時間なにかしらの番組をやっているが、昔は違ったのだ。
北陸は大雪で大変らしい。除雪の作業にあたるヒトも、命を削って頑張っている。こういう雪のニュースをみていると、ほんとうに僕のような関東の民は恵まれているなと感じる。
毎日放送(MBS)は大阪にあるテレビ局である。名前からもわかるとおり、TBSをキー局とするJNNの基幹局であり準キー局でもある。けっこう関東のニンゲンにもなじみのある番組を制作している。「皇室アルバム」はその代表である。
北海道放送(HBC)は、1952年(テレビ部門は1957年)に開局された放送局で、関東では1チャンネルといえばNHKの総合テレビだが、北海道ではHBCが1チャンネルである。
テレビ東京は開局時、東京12チャンネルという名前であった。ここで関東出身の昭和50年代少年少女にことわっておきたいのは、われわれは12チャン12チャンと普通にあるものとして呼んでいるが、通用するのは関東のヒトのみなのである。
そのむかし、テレビ朝日はNETと名乗っていた。いまでは信じれないが、最初は教育番組専門のテレビ局だったのである。だからNET(Nippon Educational Television)なのだ。
今回は順番どおりフジテレビである。フジテレビのばあい、クロージングに入る前に、火の元と戸締りの注意とグループ関連企業の広告が、これでもかっていうぐらいに入ってくる。
日本テレビ、TBSときたからには、つぎはフジテレビだろうと関東民の昭和50年代少年少女は思っていたかもしれない。だがそうは問屋が卸さない。たんなるきまぐれだが今回は地方の昭和テレビクロージングの世界を紹介したい。
こちらも日本テレビの”鳩の休日”とならんで、関東の夜ふかしさんには有名なTBSのいわゆる”ガラス棒”といわれるクロージングである。当クロージングは、昭和48年から62年まで使用されていた。
そのむかし、テレビがアナログでいまみたいに24時間放送するのがあたりまえではなかったころ。その日の放送開始・終了を告げる局名告知(ジャンクション)というものがあった。