昭和53年
夜ヒット(夜のヒットスタジオ)は、1968年から1990年までフジテレビ系列で放送されていた音楽番組で、最近でもCSで再放送がやっていたりする。いまの若人がこの番組を観たら、なにを想うだろうか。
ニンゲン年老いてくると、昔はよかったと言いがちになってしまう。さらにはそこから、昔のあれはよかった、いまのはダメとも言ってしまう。これはよくない。このようなことをいえば、若いヒトとの乖離が生まれてしまうからだ。
つい先日まで、テレビ神奈川で「俺たちの朝」というドラマが放送されていて、録画しておいて暇なときに観ていた。そしてある回において、まだ脚光を浴びる前の柴田恭兵が出てきた。
また24時間テレビの話で恐縮だが、この番組が登場したのはちょうど40年前の昭和53年である。日本テレビの開局が昭和28年であったので、開局25年の記念ということではじまった。
むかしはふつうに使われていたコトバなのだけれども、そもそも”ビバ”ってどういう意味であろうか。調べてみたら、イタリア語で”バンザイ”という意味なのだとか。いまやビバというコトバもビバホームぐらいしか使われなくなってしまったが。
少年だったころ、どこかで聴いた曲で、歌の題名も歌い手の名前もわからないけれども、メロディーラインだけが印象に残っている歌というのがある。詳細は知る由もない。
クリスマスイブにラジオを聴いていたんだ。特集は”一人ぼっちのクリスマス。そこでリクエストされたのがこの曲だったのだけれど、ぶっちゃけなぜにリクエストした?ってぐらいの衝撃的な歌さ。
いまいちど”ジュリー”という存在を噛みしめてみたいと思う。ときは昭和53年になってまもなきころ。場所は新宿河田町のフジテレビ。このころのジュリーはまさに絶頂だった。
前回の記事でも書いた、タブレット純さんのラジオ番組「音楽の黄金時代」の平尾昌晃特集のハナシ。幾多もある平尾さんの作曲した歌を聴いていて、子どものころの懐かしい思い出がよみがえった歌。それが一連の「熱中時代」の主題歌である。
大場久美子は1970年代に活躍したアイドル歌手で、1978年にはTBSのドラマ「コメットさん」の主人公を演じた。このころは小学校にあがるころで、コメットさんは毎週観ていたし、演じていたカノジョも大好きだった。