KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

柴田恭兵

 つい先日まで、テレビ神奈川で「俺たちの朝」というドラマが放送されていて、録画しておいて暇なときに観ていた。そしてある回において、まだ脚光を浴びる前の柴田恭兵が出てきた。 

 

  調べたら昭和52年の8月14日だから、彼が26歳のころである。東京キッドブラザースに入ったのが昭和50年だから、俳優になって2年目ということになる。この次の年に「大追跡」という刑事ドラマに初のレギュラー出演を果たした。

 

 ちょうどそのあたりに撮った劇団のプロモーションビデオ。笑ってしまうのだが、よくよく考えてみたら、自分だって20代半ばのころの情熱を30年後にふり返ったら、きっと気恥ずかしくなるに違いない。

 

 なんでこんな表現なのかというと、東京キッドブラザースという劇団は”和製ロックミュージカル”というのを売り物にしていたからだ。この動画をみて、今の柴田恭兵をみるとブレてないなあと感心する。

 

 かくいう僕は、中高生のころよく「関係ないね!」という彼のモノマネをよくやっていた。まだ輝きを放っていたころの、田代まさしがよくやっていた例のヤツである。得意になってやっていたころを思い出すと、これまた気恥ずかしい。

 

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸がつづくかぎり、僕は君のそばにいる。