昭和60年
プロレスラーの《強さ》には、勝負に勝つための強さとはまた違う強さがあると思われる。
大学の講義の日に、学校のヒトとのちょっとした話題で、30年ほど前に市ヶ谷に住んでいたというハナシをした。自衛官として市ヶ谷駐屯地(現・防衛省)の官舎にいたのである。
昭和50年代末期に、投資ジャーナル事件というのがあった。いわゆる詐欺事件なのだが、当時小学生の僕に事件の意味はわからなかった。ただワイドショーで歌手の倉田まり子がレポーターに責められていたのと、犯人の中江滋樹の風貌だけは強く印象に残ってい…
という歌を思い出すときに浮かんでくるのは、尾崎豊であったり、菊池桃子であったりするのだが、今回は斉藤由貴の「卒業」のハナシである。
のところでも話したが、固定電話を真剣に考えている。スマホとちがい、有線であるから繋がりやすいし。相手がなにかあって、いざ公衆電話からかけてきたというときにも、スマホよりおなじ料金で長く話せるであろう。
小生のなかではいまだに、あの日航ジャンボ機墜落事故について終わっていない。たしかに機体が壊れたのが原因であろうが、ではなぜ壊れてしまったのかについて、きちんと解決していないからである。
日本航空123便墜落事故が起きた昭和60年8月12日のあたり。あのころはどんな時代だったのか。当時の新聞をのぞいてみる。
NHKスペシャルは同局のドキュメンタリー番組で、前身はNHK特集という番組名だった。ちょうど昭和から平成になるころに番組が変わった。
今年の7月22日は、ソングライター浜口庫之助さんの生誕100周年であった。もうそれこそ数えきれない名曲を世に送り出したハマクラさんであるが、あともう少しで8月という今は、やはりこの歌を思い出すのである。
昭和50年代少年少女のみなさんは、昭和60年ごろ、土曜日の夜8時というと、テレビ番組でなにをごらんになっていただろうか。”全員集合”であろうか。それとも”ひょうきん族”であろうか。