KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

そして1985年8月12日

 小生のなかではいまだに、あの日航ジャンボ機墜落事故について終わっていない。たしかに機体が壊れたのが原因であろうが、ではなぜ壊れてしまったのかについて、きちんと解決していないからである。

  事故からしばらくは、機長のご家族が、そうとう責められていたという。機長はなにも過失がなかったというのに。そしてご家族も機長という肉親を亡くされているのに。

 

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 あの日はテレビにくぎ付けになっていた。写真は翌13日の朝刊に載っていた乗客の名簿であるが、事故発生直後はもっとたくさん、こうしたカタカナにアルファベットという名前が不明というヒトがいた。それがそこはかとない恐ろしさを感じさせた。

 

 乗客はお盆で帰省したり、日帰り出張の仕事帰りのヒトが多かったのだが、中にはこのようなヒトもいた。

 

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 甲子園に出場する息子さんを応援するために、単身123便に乗り遭難したお父さん。竹下元章さんは実は元プロ野球選手で、広島カープのキャッチャーだった。

 

 お父さんが応援するはずだった試合は、息子さんの活躍で見事勝ったのだが、死というのは偶然の積み重ねだとつくづく感じさせられる。もし息子さんが甲子園に出場しなければと考えたら。しかしこれも運命などではない。偶然の積み重ねなのだ。

 

 因果などというものは存在しない。

 

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸がつづくかぎり、僕は君のそばにいる。