KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

本当に闇に堕ちていくかと思われた

前回から間が開きました。またこういう時があったら、思郎は仕事で心身が疲れ果てているのだなという事にしておいてくださいね。ああインフルエンサーにはなれない。 ここのところ、仕事場から家に帰ってきてバタンキューで寝込んでばっかりでした。体の衰え…

深遠なる闇の恐ろしさ

先日、甥っ子が熱を出して、親である弟やその奥さんも仕事があるということで、見守りをしてきました。 甥っ子はよくできた子で、親が仕事に行って思郎と2人きりになっても、大人しくしていました。私も特に構うことなく、彼も遊ぼうとせがむことなく、2人…

無知の知を思い知らされる

《自分は何も知らない》ただただ慌ただしく生きれば生きるほど、それは積もり積もっていく。知らないうちに。常識なんていうのは、時を経ればいつの間にか知らないうちに変わっていくものなんです。 弟は小学校の教員なのですが、通知表を作成する時期なんで…

対話をしようとする事は『暗黙の了解』への挑戦なのです

日本の社会も色々な考え方が可視化されてきて、これまでに存在されてきた価値観を何かと否定するようになってきました。 性の多様性というのも、その1つであります。だいぶ浸透してきたように思われるのですが、主流になってきたかというと疑問ではあります…

《一発屋》って言うほど本当に《一発屋》か

ラジオにはさまざまな音楽との出会いがあります。 《初めて聴いたけど、いいなと感じた》 《曲は耳に残っていて今回ラジオで初めて題名を知った》 《昔に聴いた思い出の曲》 などなど。 天界/久保田早紀 - YouTube 《一発屋》と呼ばれる人がいます。歌やお…

論破すればそれでいいのか

www.youtube.com 前に自己責任という言葉が嫌いだと述べましたが、同様に嫌いなのが《論破》という言葉です。議論って勝ち負けじゃないわけですよ。さらにいえば、議論っていうから話が難しくなります。対話なんです。 プラトンの初期の著作はソクラテスとも…

キレイゴトの対義語って

https://twitter.com/im0meCjAjZhEVej/status/1758111031661076611?t=k4DLZOxYMUm4HIolUfRM0w&s=19 ないですよね。《キレイゴト》ってコトバは揶揄されやすいけど、そういう揶揄をする人をギャフンとさせる対義語ってないんですよね。 でも思われるのですよ…

本は本屋や図書館で手にとってパラパラめくってみるべき

図書館のカードを4枚持っています。千葉・船橋・習志野・八千代各市の。居住地が隣接しているので作れるのです。 大学のレポートを作成する時に参考にする文献が必要な場合、カーリルローカルというサイトで検索をします。 カーリルローカル すると大体この…

今だからこそ食べたい昔チョコ

子どものころよく食べていたチョコレート、高嶺の花でありすぎて食べられずに終わったチョコレート。 それらは時の流れのなかで頭から忘却されていまい、いつの間にか食べる事がかなわなくなってしまったものがあります。 よく聴いているラジオ番組にBayfmの…

底辺のおっさんに発言権はないよ、わかってるよ

自分と同世代で強い発言権を持っている人もいるにはいます。そういう人は過去に成功して、それをきっかけにインターネット上でインフルエンサーになります。ホリエモンこと堀江貴文さんなんかはいい例です。同い年ですわ。 では過去にお笑いをやってたけど、…

肩書きなんて名乗ったもの勝ちよ、なんてね♪

薬師丸ひろ子さんじゃあるまいし。(注:表題の『なんてね♪』ってとこ。by『紳士同盟』) 今年からまた改めて更新するようになったこのブログ。いちおう哲学やテレビなどの映像を昭和48年生まれの視点をからめてエッセイに仕立てたものとしてお送りしている…

桐島聡

親族は遺体引き取りを拒否 桐島聡容疑者(70)とみられる男 | TBS NEWS DIG (1ページ) この情報網が発達した現代社会にも、《逃げ場所》は存在した。身分証明書がなくても、住民票がなくても、そして犯罪者であってもー 仕事も住む場所も与えられ偽名で生き…

旅サラダに復帰した神田正輝をみて余生について考えさせられる

土曜日の勤務の日の朝、あるお年寄り(94歳)の部屋を検温と血圧測定のために訪れると、テレビを観ながらいつも必ず言うのです。 この番組はいいよー。 って。 自分も土日休みの仕事だったら観るな。ボーっと。 旅サラダ 本来は、さあ旅に出かけようよという…

頭の中が常にシステムエラー

言葉には大きくわけて、2つのタイプがあります。《書き言葉》と《話し言葉》です。意味は読んで字のごとく。 私は話す事が苦手です。頭にある内容をまとめて言葉にして発するのが苦手なのです。 このように一回文字にしてマイペースでまとめるやり方だとし…

『8時だョ!全員集合』について51歳は考える

『8時だョ!全員集合』のDVDをレンタルして観てみると、ひとつ感じることがあります。 DVDに収録されているのは番組前後のコント部分のみなのですよ。あたり前っちゃああたり前なのですが。 って何があたり前か説明しないと。あたり前だという思い込みは臆見…

キョンキョンはキョンキョンのままで

つい先日、小泉今日子がバラエティ番組は『くだらない』『絶対出たくない』と文春オンラインのインタビューで語って話題になりました。 旧態依然として変わらないというのが理由らしいけど、バラエティ番組のバラエティとは〈変化に富む〉という意味がありま…

土曜の8時といえば

自分語りはほどほどにして、ここでいったん方向を変えます。 ここのところ、ネットをやる時間を少なめにしております。テレビを観ているかというと、そうでもない。 我が家のテレビは母が独占状態。他にやることないですから仕方ない。それでも観たい番組が…

ここ数年のおはなし(3)

《ミィさん》がいなくなったちょっと前からお笑いの舞台に立たなくなりました。辞めたという自覚はないのですが。 仕事があるし、心の病みがあったので。人生が面白いと感じられない人間に、お笑いのネタは作れません。 辞めたではなく離れたというのは、自…

ここ数年のおはなし(2)

2018年に15年連れ添った《ミィさん》がこの世から去りました。 この人がいなければ、いまの自分はいませんでした。当たり前といえば当たり前ですが。 はっきり言って自分は、ダメニンゲンで、どこがダメか挙げればキリがないのですが、まず我慢強くなく、だ…

ここ数年のおはなし(1)

現在、要介護度4の母と同居しています。かれこれ2年となりますかね。母は2年半ほど前の夏の暑い日に、菜園での作業中、脳溢血で倒れました。 一命はとりとめたものの、右半身が麻痺してしまいました。私が現在51歳ですから、もう歳なのかなって思うじゃ…

自己責任で終わらす風潮にちょ、待てよと

自宅にいて亡くなられた方は、ほぼほぼその人のせいだと言い放つ 立花孝志今回の震災自宅にいて亡くなられた方は、ほぼほぼその人のせいだと言い放つひどくないですか?人間の発する言葉????#拡散してください pic.twitter.com/W10PaeQx0o — ポケまろ (@…

他人に干渉されずに物思いに耽りたい

kotobasm.hatenablog.jp (前回のつづき) 当ブログ記録者(いろいろ考えた結果、自分の事をブログ内において、こう名乗ることにした)は、これまでいろいろな人に嫌われつづけてきた。かなりの年数、義務教育課程においてクラスメートだけでなく、時には先…

《孤独》でいられるって実はぜいたくなのです

おひさしぶりです。ちなみに当ブログ管理人は文章の中に《》という括弧を使う。これは一般的に強調を意味する。今回の《孤独》も疑問に思われることがあるので、《》をつけてみた。

きのうのジョー

われわれは、《あしたのジョー》を語ることがあっても、《きのうのジョー》については、あまり語らない。

社会とは

もう3月か。いろいろあって、あたふたしていたら、もう3月になってしまった。いろいろやりたいこともあったが、手つかずになってしまった。このブログだってそうなのですよ。 頭の中で思いつくことはあれど、忙しかったり、なにかアクシデントがあると忘却…

《アニキ》ってそれこそ空にそびえる鉄の城だったな

news.yahoo.co.jp 過去にブログで、子どものころデパートの「水木一郎ショー」に言った思い出を記したことがあった。今は亡き弟が、アニキに宇宙戦艦ヤマトをリクエストして困らせたという話だ。あのときのアニキのリアクションが忘れられず、45年ほど経っ…

小学生のときいちばん好きだったマンガ

小学生のころっていったら、もう40年以上(!)前か。いまは亡き年子の弟が、100いくらか円を握りしめ、少年ジャンプを本屋に買いに行っていたっけ。弟がひととおり読んで、床にほっぽり投げてあるのを拾って私は読んでいた。 クラスメートは大体、キン肉…

在りし日の渡辺徹さんに思われる

www.youtube.com 文学座に入り、あの名作ドラマ「太陽にほえろ」に抜擢され、背が高くて甘いマスク。これだけ書くともう誰だその名優はって感じなのだが、それにもまして大きな特徴があった。デブだったのだ。 太陽にほえろでのラガー殉職シーンのころには、…

断捨離するものは実は自分の脳の中にある《僕の取扱説明書》

”断捨離”と聞くと、まず部屋のものをなくすことである。つまりは目に見える、その手に掴めるものをなくすということでもある。しかし小生の部屋は、モノがたくさんある。本であったりコレクションであったり。

《被差別おっさんのこれが生きる道》としてのプロローグ

50歳は目前だというのに、鬱状態が著しくて困る。ブログも仕事中だと、よし帰ったらやろうと思うのだけれど、ごはんを食べて風呂に入ると面倒くさくなってしまうのだ。