KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

自己責任で終わらす風潮にちょ、待てよと

 

 

自宅にいて亡くなられた方は、ほぼほぼその人のせいだと言い放つ

 

 

人間がいかに抗っても抗しようが無いもの。それが自然の脅威なのだと思われるのです。

 

つまりそれは人間の責任の範疇を超えているわけです。自然の脅威によって被害を受けた人に対して、受けもしなかった人が、

 

耐震工事をしなかったのが悪い

 

って言ってしまうのは人間の傲慢なのですよ。はっきりいって。傲慢に生きすぎて人の痛みに無自覚になっているんです。

 

人間が同じ人間である被災者の人の痛みに無自覚になる。もはやそんなの人非人でしかないのです。

 

ほんと自己責任という言葉を簡単にいう人多くて嫌になります。

 

今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り、僕は君のそばにいる。