KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

底辺のおっさんに発言権はないよ、わかってるよ


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 自分と同世代で強い発言権を持っている人もいるにはいます。そういう人は過去に成功して、それをきっかけにインターネット上でインフルエンサーになります。ホリエモンこと堀江貴文さんなんかはいい例です。同い年ですわ。

 

 では過去にお笑いをやってたけど、結局何者にもなれなかった51歳の自分に発言権が付与されるかというと、それは難しいと思います。

 

 もはや現代は、お金を稼げて若い世代にメリットをもたらす(であろう)おじさまにしか発言権がない。『おじさま』と『おっさん』はまったくの別物で、そのあいだには『SASUKE』に出てくるような、反り立つ壁があります。

 

 『おっさん』は若い人の養分になってればいい的な風潮を感じ取ることがあるのですが、それって実は『おじさま』が形成しているんですよ。

 

 『おじさま』も『おっさん』も同じ男性ですが、男っていうのはいつまで経ってもコロシアムに駆り出される生き物なのです。(女の人も戦っているのですがこれ種類が違うのです、可視化できる戦いなのです男性の場合)

 

 そういう戦いは放棄します自分の場合。世代を越えた支持とか性別を越えた支持とかいうけど、そういうのは放棄です。

 

 さいわいにも自分の世代って、人口は多いですから。お金を稼ぐ新たな手法はなくても、普遍的な価値の探求心はあります。ここに活路を見出していけばいいと思われます。同世代で共有できる違う種類の《発言》が創出できるのではないでしょうか。

 

 ニンゲン50も過ぎたら、お金をどう稼ぐかじゃないのですよ。いかにいづれ来たる死に向かって生きるかなのですよ。

 

今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り、僕は君のそばにいる。